精選版 日本国語大辞典 「中村不折」の意味・読み・例文・類語
なかむら‐ふせつ【中村不折】
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洋画家。東京に生まれる。本名鈼太郎(さくたろう)。青少年期を長野で過ごし,1887年上京。小山正太郎,浅井らが主宰した十一字会研究所で洋画を学ぶ。明治美術会に出品したり,浅井忠の推薦で陸羯南の〈日本新聞社〉で挿絵を手がけるが,1901年から05年までフランスへ留学。はじめR.コランに,その後J.P.ローランスに師事して歴史画の伝統的な手法を修得。また留学中にロダンと接触をもった最も早い時期の日本人のひとりでもある。帰国後は黒田清輝の白馬会系に対立した太平洋画会系の中心的な画家として活躍。同会研究所で指導し,そこから中村彝(つね),万鉄五郎らの優れた画家が育った。東洋美術や書道にも造詣が深く,36年,東京根岸に書道博物館を開設した。
執筆者:酒井 忠康
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洋画家、書家。慶応(けいおう)2年7月10日江戸に生まれる。本名鈼太郎(さくたろう)。幼時に父の郷里長野県に移るが絵をよくし、南画と洋画の初歩を学ぶ。1887年(明治20)上京して十一会研究所(のち不同舎)で小山正太郎(こやましょうたろう)に師事する。1900年パリ万国博覧会に出品して受賞、翌年渡仏してコラン、ついでローランスに学び、05年帰国して太平洋画会会員となる。07年東京府勧業博覧会ならびに第1回文展の審査員。19年(大正8)帝国美術院会員、34年(昭和9)太平洋美術学校校長となる。書でも知られ、その収集品をもとに36年、東京根岸(ねぎし)に書道博物館を開設した。昭和18年6月6日没。歴史画を得意とし、代表作に『賺蘭亭図(らんていをあざむくのず)』『盧生(ろせい)の夢(邯鄲(かんたん))』などがある。
[小倉忠夫]
『中村不折著『学書三訣』(1970・西東書房)』
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