朝日日本歴史人物事典 「中村歌六(3代)」の解説
中村歌六(3代)
生年:嘉永2(1849)
明治大正期の歌舞伎役者。俳名獅童。屋号播磨屋。初代の3男として大坂で生まれる。5歳で中村米吉を名乗って初舞台。首振芝居や中芝居で修業し,中村時蔵と改名して明治1(1868)年冬,角の芝居に登場。この前後故老の型を熱心に学び,幅広い役柄をこなす芸力を身につけた。6年上京したが,その達者な芸が時流に合わず,9代目市川団十郎らに容れられず,東京の中劇場や関西あるいは旅の劇場に出て技量を示した。41年歌六を襲名。晩年は枯れて瓢逸の芸境をみせた。「伊賀越道中双六」(「沼津」)の平作,「いろは仮名四十七訓」(「鎌腹」)の弥作など当たり役は多い。彼の死とともに失われた型の多いことが惜しまれる。子に初代中村吉右衛門,3代目中村時蔵,13代目中村勘三郎がいる。歌六の名跡は平成期の5代におよぶ。<参考文献>松居松翁「反逆児中村歌六」(『劇壇今昔』)
(青木繁)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報