中田薫(読み)ナカダカオル

デジタル大辞泉 「中田薫」の意味・読み・例文・類語

なかだ‐かおる〔‐かほる〕【中田薫】

[1877~1967]法制史学者鹿児島の生まれ。東大教授。比較法制史を研究して、日本法制史学を確立文化勲章受章。著「法制史論集」など。

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精選版 日本国語大辞典 「中田薫」の意味・読み・例文・類語

なかだ‐かおる【中田薫】

法制史学者。鹿児島県出身。東京帝国大学教授。専門の日本法制史のほか東洋・西洋の法制史にも明るく、日本法制史の体系化を行なった。「王朝時代の庄園に関する研究」は有名。文化勲章受章。明治一〇~昭和四二年(一八七七‐一九六七

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改訂新版 世界大百科事典 「中田薫」の意味・わかりやすい解説

中田薫 (なかだかおる)
生没年:1877-1967(明治10-昭和42)

法制史学者。1900年東京帝国大学法科大学卒業後大学院に進み,日本法制史,比較法制史を専攻,02年同助教授,11年教授。法制史の研究と後進育成に貢献し,46年文化勲章受章。日本の近代的法制史学の建設者として知られる。研究対象は西洋にも及び,時代的にも多岐にわたり,その業績は《法制史論集》4巻(1926-64)に収められている。とくに荘園に関する研究は,歴史学一般にとっても古典的業績とされ,また江戸,明治初期の村,入会(いりあい)に関する諸業績は法社会学や法解釈学にも影響を与えたものとして著名である。
法制史
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「中田薫」の意味・わかりやすい解説

中田薫
なかだかおる
(1877―1967)

日本法制史の学者。法学博士。1900年(明治33)東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。ただちに大学院に入り、宮崎道三郎教授の下で鎌倉時代の法制を研究。その研究報告として06年に発表した『王朝時代の庄園(しょうえん)に関する研究』は日本史学上の古典とされる。02年に東京帝国大学助教授、11年教授。宮崎博士によって基礎を据えられた日本法制史学は、博士によって体系化された。その研究は日本法制史の各時代各部門にわたるが、江戸時代および明治初年の村および入会(いりあい)に関する研究は、現行法上の入会問題の解明に多大の貢献をした。外国法ことに中国法に関する造詣(ぞうけい)も深かった。25年(大正14)に帝国学士院会員となり、46年(昭和21)には文化勲章を受けた。

石井良助

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百科事典マイペディア 「中田薫」の意味・わかりやすい解説

中田薫【なかだかおる】

日本法制史家。山梨県出身。英・フランス・ドイツに留学後,東大教授(1911年−1937年)。ギールケなどドイツ法制史の研究成果に学び,本格的な日本法制史研究の基礎を築いた。特に日本の荘園・封建制度についてと村・入会に関する研究,および江戸時代の法制史(土地所有権など)の権威。1946年文化勲章。主著《法制史論集》《徳川時代の文学に見えたる私法》。
→関連項目仁井田陞

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「中田薫」の解説

中田薫
なかだかおる

1877.3.1~1967.11.21

明治~昭和期の日本法制史家。鹿児島県出身。東大卒。1902年(明治35)東京帝国大学助教授,11年教授。初期に荘園の研究や「知行論」などで,日本の中世法がドイツ中世の制度と類似することを明らかにし,後年の村や入会(いりあい)の研究でもドイツとの比較を通じてその法的性質を解明した。主要論文は「法制史論集」全4巻に収載。「徳川時代の文学に見えたる私法」も古典的価値をもつ。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中田薫」の解説

中田薫 なかだ-かおる

1877-1967 明治-昭和時代の法制史学者。
明治10年3月1日生まれ。ヨーロッパ留学後の明治44年母校東京帝大の教授となり,近代的法制史学を体系化。荘園,入会(いりあい)の研究で知られる。大正14年学士院会員,昭和21年文化勲章。昭和42年11月21日死去。90歳。鹿児島県出身。著作に「法制史論集」「徳川時代の文学に見えたる私法」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「中田薫」の意味・わかりやすい解説

中田薫
なかだかおる

[生]1877.3.1. 甲府
[没]1967.11.21. 東京
日本法制史学者,法学博士,日本学士院会員。 1900年東京大学法科大学卒業,日本法制史を専攻。『王朝時代の庄園に関する研究』 (1906) は日本法制史研究の基礎を築いた著作。 11年東京大学法科大学教授,46年文化勲章受章。

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世界大百科事典(旧版)内の中田薫の言及

【職】より

…その意味で,荘園公領制下の職は職務上の地位であるとともに領主財産・権益という二重の性格をもつといえる。中田薫の研究に代表される法制史学の側からは職を不動産物権として,純粋に権益的性格のものと見る傾向が強いが,職務・支配体制上の地位という側面も無視するわけにいかない。またこのころ山預職,絵所職など職能を示す職の用例も少なくないことから,職の本質を職能と見る考え方もあるが,これも職の一面をとらえたものというべきであろう。…

【荘園】より


【日本】
日本の荘園についての従来の研究は大きく二つの潮流に分かれる。 第1は荘園を私的大土地所有の形態とみて,その内部構造を究明しようとする流れで,近代史学史の主流をなし,中田薫朝河貫一,牧健二らにより,西欧との比較を通して確立した見方である。ただ中田薫が荘園領主権を公法上の支配権とし,朝河貫一が荘園とマナーの相違を強調,牧健二が(しき)の官職的・公法的側面に着目するなど,西欧の封建制との違いにそれぞれ注目していることは見のがせない。…

【封建制度】より

…(2)西洋的概念の導入 (a)レーン制 日本の近代史学の封建制研究は,明治30年代にとつじょ三つの大輪の花を咲かせる。三浦周行《武家制度の発達》(1904ころ執筆,1925刊),中田薫《コムメンダチオと名簿(みようぶ)奉呈の式》《王朝時代の庄園に関する研究》(ともに1906),福田徳三《Die gesellschaftliche und wirtschaftliche Entwicklung in Japan(日本に於ける社会並経済的進化)》(1900。《日本経済史論》として邦訳1907)である。…

【法制史】より

…〈法制史〉講座初代担当者宮崎道三郎はグリム兄弟のひとりヤーコプ・グリムの影響を受け,みずからは古代法を言語学ないし語源学的角度から探究することに没頭するとともに,ドイツ法制史の研究が日本法制史研究の参考のために必要だとして〈比較法制史〉講座設置を希望し,実現させたのである。宮崎門下の中田薫もドイツへ留学し,はじめ〈比較法制史〉講座を,宮崎の停年退官後は〈日本法制史〉講座を担当したが,日本法制史の研究にあたってほとんど終始ドイツ法制史との比較という方法をとりつづけた。 他方,京都帝国大学ではじめて法制史を講じた三浦周行は,帝国大学で学んだものの実質的には水戸学の流れをくむ学者で,ヨーロッパの歴史にはほとんど関心を示していないが,その後継者牧健二はドイツ封建制との比較で日本の武家支配体制を探究する方法を採用している。…

【律令法】より

… しかし近代史学の発達とともに,律令の研究はその解釈にとどまらず,多方面にわたって深化した。中田薫の《法制史論集》に収める諸論文や滝川政次郎《律令の研究》は,太平洋戦争以前に発表された代表的な研究文献であるが,これらに共通するものは,中国律令法と日本律令法との相違を明らかにしようとする課題意識である。その点では,日本律令そのものを論じたものではないが,仁井田陞(にいだのぼる)《唐令拾遺》も逸することはできない。…

※「中田薫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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