中野好夫(読み)ナカノヨシオ

デジタル大辞泉 「中野好夫」の意味・読み・例文・類語

なかの‐よしお〔‐よしを〕【中野好夫】

[1903~1985]英文学者・評論家愛媛の生まれ。シェークスピアスウィフトモームらの研究で知られ、また、ジャーナリズム健筆を振るった。著「アラビアのロレンス」「蘆花徳冨健次郎」など。

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精選版 日本国語大辞典 「中野好夫」の意味・読み・例文・類語

なかの‐よしお【中野好夫】

英文学者、評論家。愛媛県出身。東京帝国大学卒。シェークスピアを中心とする英米文学・演劇の研究・翻訳者として知られた。幅広い視野に立つ硬骨批評家として社会文芸評論でも活躍著作に「アラビアロレンス」「エリザベス朝演劇講話」「蘆花徳冨健次郎」など。明治三六~昭和六〇年(一九〇三‐八五

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改訂新版 世界大百科事典 「中野好夫」の意味・わかりやすい解説

中野好夫 (なかのよしお)
生没年:1903-85(明治36-昭和60)

昭和期の評論家,英文学者,平和運動にも貢献。愛媛県松山市生れ。1926年東大英文科卒業。中学教師などを経て35年東大助教授,48年教授に就任。敗戦直後みずから〈戦犯第1号〉を名のり,以後一貫して民主主義と平和のために,〈知こそ力〉という姿勢を律義に貫いた。53年〈官学〉を辞し,著作活動に専念する。著作は多岐にわたり,モームの《雨》,シェークスピアの《ベニスの商人》など精細な原文分析による達意の翻訳をはじめ,専門の《シェイクスピアの面白さ》(1967),《スウィフト考》(1969),また人間の内面への飽くなき好奇心と歴史への関心に支えられた《アラビアのロレンス》(1940),《蘆花徳冨健次郎》(全3冊,1972-74)などの評伝は,伝記文学に新生面を開いた。さらに時事評論では,全面講和,憲法擁護,安保改定,ベトナム戦争,沖縄返還など,理非曲直を明らかにした時論を展開,とくに60年安保では〈こわれた車に民主主義は乗らぬ〉と新聞社説を鋭く批判した。市井の自由人として,辛辣(しんらつ)だが情理を尽くした言論は,戦後民主主義の背骨を支える貴重な発言だった。原水爆禁止運動や都知事選では,公正な判断と誠実な人柄から内部分裂の回避に一役買った。晩年はE.ギボンの《ローマ帝国衰亡史》の翻訳に専念したが,〈狡智万点の愚者〉たる人間の未来について,司馬江漢にならって〈人は獣に及ばず〉と警告,人類の英知に悲観的見方を示した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「中野好夫」の意味・わかりやすい解説

中野好夫
なかのよしお

[生]1903.8.2. 愛媛
[没]1985.2.20. 東京
評論家,英文学者。東京大学卒業後,中学,師範学校の教師を経て,1935年東大助教授,48年教授。 53年,研究に専念できる経済的処遇を与えられていないという理由で,大学を辞職。型破りな行動が話題となる。同年雑誌『平和』の編集長となり,自由な評論活動に入る。その活動の背景には専門の英文学と西欧理解に基づく合理主義があり,原水爆禁止,反安保,革新都政など,戦後民主主義運動のすべてにかかわることとなった。代表作『アラビアのロレンス』 (1940) ,『文学試論集』 (43) ,『蘆花徳冨健次郎』 (72~74,大仏次郎賞) など。また,シェークスピアやモームの諸作品,ギボンの『ローマ帝国衰亡史』 (10巻予定のうち4巻,76~85) などのすぐれた翻訳がある。ほかに『中野好夫集』 (11巻,84~85) 。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「中野好夫」の意味・わかりやすい解説

中野好夫
なかのよしお
(1903―1985)

英文学者、評論家。愛媛県松山市生まれ。東京帝国大学英文科卒業。1948年(昭和23)東大教授。シェークスピア、スウィフト、モームらの研究で知られる。53年東大教授を辞任、雑誌『平和』の編集長として活躍。リベラルな幅広い視野にたつ硬骨の言動で、護憲運動、沖縄問題、60年安保反対運動などに尽力。『文学試論集』全三冊(1942~52)、『人間の名において』(1954)、『アラビアのロレンス』(1963)、『スウィフト考』(1969)、『人間の死にかた』(1969)、『蘆花徳冨健次郎(ろかとくとみけんじろう)』全三部(1972~74。大仏(おさらぎ)次郎賞受賞)などがある。

[高橋新太郎]

『『中野好夫集』全11巻(1984~85・筑摩書房)』

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百科事典マイペディア 「中野好夫」の意味・わかりやすい解説

中野好夫【なかのよしお】

英文学者,評論家。愛媛県生れ。東大卒。1948年東大教授,1953年辞職後は中央大教授など。モームの《雨》,シェークスピアの《ベニスの商人》,ギボン《ローマ帝国滅亡史》の翻訳のほかに《アラビアのロレンス》《蘆花徳冨健次郎》の評伝がある。時事評論,平和運動に力を注ぎ,辛辣・明晰な議論は戦後の論壇に影響力をもった。《中野好夫集》全11巻がある。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「中野好夫」の解説

中野好夫
なかのよしお

1903.8.2~85.2.20

昭和期の英文学者・評論家。松山市出身。東大卒。中学の英語教師などをへて,1935年(昭和10)東京帝国大学助教授,48年同教授となり,53年辞職。その後は著作活動に専念し,一時雑誌「平和」編集長を務めた。また憲法擁護・反安保・原水爆禁止・ベトナム戦争反対・沖縄返還などの平和運動に関与し,そのための時事評論を展開した。沖縄問題では沖縄資料センターを設立。この間シェークスピア関連の翻訳や著作を行う一方,評伝「蘆花徳富健次郎」で大仏次郎賞を受賞。「中野好夫集」全11巻。訳業に未完となったがギボンの「ローマ帝国衰亡史」。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中野好夫」の解説

中野好夫 なかの-よしお

1903-1985 昭和時代の英文学者,評論家。
明治36年8月2日生まれ。昭和23年東大教授。シェークスピア,スウィフト,モームの翻訳で知られる。28年教授を辞職,幅ひろい視野から社会批評を展開し,憲法擁護,反安保,反核,沖縄返還などの運動につくした。49年「蘆花(ろか)徳冨健次郎」で大仏次郎賞。57年朝日賞。昭和60年2月20日死去。81歳。愛媛県出身。東京帝大卒。評伝に「アラビアのロレンス」,訳書に「ガリヴァ旅行記」など。

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