中野梧一(読み)なかの・ごいち

朝日日本歴史人物事典 「中野梧一」の解説

中野梧一

没年:明治16.9.19(1883)
生年:天保13.1.8(1842.2.17)
明治前期の地方官,実業家。幕臣時代の名は斎藤辰吉。維新後改名。御細工頭,郡代掛代官斎藤嘉兵衛の子として江戸に出生。父の隠居後外国奉行支配調役などを歴任戊辰戦争に参加,五稜郭などで官軍と戦う。維新後新政府に出仕,明治4(1871)年井上馨 の推挙により初代山口県参事となる(このことは後年第6回帝国議会において井上が山口県在任時代の中野と結託して汚職を行ったとの追及を受ける背景となった)。8年退官後は大阪商法会議所副会頭(在任中に藤田組贋札事件連座),関西貿易商会発起人となるなど実業界で活躍するも,原因不明の自殺を遂げた。

(村瀬信一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中野梧一」の解説

中野梧一 なかの-ごいち

1842-1883 明治時代の官僚,実業家。
天保(てんぽう)13年1月8日生まれ。もと幕臣。戊辰(ぼしん)戦争では箱館(はこだて)五稜郭(ごりょうかく)でたたかう。ゆるされて新政府につかえ明治7年山口県令となる。翌年実業界に転じ,西南戦争では政商藤田伝三郎と軍需品調達にあたる。大阪商法会議所副会頭もつとめた。藤田組贋札(がんさつ)事件や開拓使官有物払い下げ事件にかかわり,明治16年9月19日自殺。42歳。江戸出身。前名は斎藤辰吉。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の中野梧一の言及

【藤田組贋札事件】より

…明治初期に大阪の政商藤田組が長州閥の井上馨と贋札を製造したという疑惑事件。1878年末以来各地で贋札が発見され,手代の密告から1879年9月藤田組幹部の藤田伝三郎,中野梧一が犯人として逮捕された。藤田組は長州藩奇兵隊出身の藤田伝三郎と久原庄三郎らが創立した商社で,長州閥とくに井上の庇護により急成長した。…

※「中野梧一」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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