丹比道(読み)たじひみち

改訂新版 世界大百科事典 「丹比道」の意味・わかりやすい解説

丹比道 (たじひみち)

河内平野東西に走っていた直線古道。その名称は,大津道とともに,《日本書紀》の壬申の乱の記述中に見えている。近世竹内街道長尾街道は,それぞれ丹比道,大津道の後身と考えられる。両道は,約1.9kmの間隔を保ちながら,ほぼ真東西に平行して走る。ただ,その間隔は,大和平野を南北に縦走する上・中・下ッ道が,正しく古代の4里(約2.1km)であるのに対し,整数里にならず,計画性を持たない。丹比道の東の起点は,応神陵古墳の後円部南側で,堺市北区金岡町の金岡神社までまっすぐに伸び,そこから北西に方向を転じ,堺市堺区北三国ヶ丘町2丁に所在する方違神社付近で大津道に合流する。丹比道の前身については,《日本書紀》仁徳天皇14年条に,難波高津宮の南門から丹比邑に至る道を敷設したとの記事が注目される。しかしこの記事は,孝徳朝ないし天武朝に難波宮の朱雀大路を金岡神社に至るまで延長して敷設された〈難波大道〉(その一部分が発掘調査により検出され,〈難波大道〉と名付けられた)に基づいて,潤色された記事の可能性が大である。なお丹比道については,大阪府松原市の式内阿麻美許曾神社付近から,羽曳野市の大座間池に至る斜向道路であった可能性も指摘されている。
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百科事典マイペディア 「丹比道」の意味・わかりやすい解説

丹比道【たじひみち】

和泉国から南河内を東西に横断して南大和に通じたとされる古代の道。堺(現大阪府堺市)を起点にした江戸時代の竹内(たけのうち)街道とほぼ一致する。《日本書紀》の壬申の乱関係の記事に丹比道・大津道がみえ,古くから丹比と呼ばれた地域を通ったこと,高安(たかやす)城(現八尾市)から望見する位置にあることなどがわかる。自然道を前提とするものの古代国家によって設けられた官道とみてよく,両道は約1.9kmの間隔を保って平行して走る。大阪府太子町と奈良県葛城(かつらぎ)市に跨がる竹内峠の太子町側に大道の地名が残る。→埴生坂
→関連項目磯長谷竹内街道

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世界大百科事典(旧版)内の丹比道の言及

【竹内街道】より

…近世においては,竹内~竹内峠~山田~春日~飛鳥~駒ヶ谷~古市~軽墓~野野上~樫山~岡~野遠~金田~黒土~堺の道順をたどる。金田(堺市金岡町)所在の金岡神社と,樫山と野野上の中間点(松原市立部2丁目付近)まではほぼ直線であり,古代の東西に走る直線古道,丹比道(たじひみち)の面影をよく残している。《日本書紀》の壬申の乱の記述中にもみえる丹比道は,金岡神社と応神天皇陵後円部を結ぶ直線古道である。…

【道】より

…直線古道は現在までのところ,大和と河内においてのみ確認されている。すなわち大和では東西道の横大路,南北道の上ッ道・中ッ道・下ッ道であり,河内では東西道の大津道丹比道(たじひみち),南北道の難波大道である。これらの諸道は難波大道を除いて,すべて《日本書紀》の壬申の乱の記事中にその名が見えているので,672年(天武1)以前に敷設されたことが確実である。…

※「丹比道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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