久巌理昌(読み)きゅうがん・りしょう

朝日日本歴史人物事典 「久巌理昌」の解説

久巌理昌

没年:明暦2.1.8(1656.2.3)
生年:寛永8.1.2(1631.2.2)
江戸前期の臨済宗の尼で,宝鏡寺第20世。後水尾上皇の第5皇女。母は櫛笥隆致の娘逢春門院隆子。幼名八重宮。正保1(1644)年3月宝鏡寺に入寺,喝食となり,同3年10月に得度して宝鏡寺と境内の浄土宗大慈院の住職を兼帯する。同時に紫衣勅許を受け,景愛寺住持を拝命したが,わずか26歳で死没諡号は仙寿院宮。死後,京都・真如寺に葬られた。理昌尼の入寺に際して,後水尾法皇は宝鏡寺を皇女住持の寺院とする勅規を下し,以後5代にわたり皇女の入寺をみた。<参考文献>洞院満季選『本朝皇胤紹運録』,『西山略縁起並歴代』,井之口有一ほか『尼門跡言語生活の調査研究』,荒川玲子「景愛寺の沿革」(『書陵部紀要』28号)

(岡佳子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「久巌理昌」の解説

久巌理昌 きゅうがん-りしょう

理昌女王(りしょうじょおう)

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