乙前(読み)おとまえ

改訂新版 世界大百科事典 「乙前」の意味・わかりやすい解説

乙前 (おとまえ)

平安時代末の遊女で,後白河法皇今様伝授した。生没年不詳。《梁塵秘抄口伝集》巻十によれば,保元の乱(1156)の翌年,当時31歳の後白河天皇は,当時72歳の乙前を召して師弟の契りを結び,十数年間今様の伝授を受けた。年老いてはいたが乙前の声は若く歌は上手であったという。乙前は目井(めい)の弟子で,美濃にいた幼少のころすでにその才能を平清経に認められている。乙前は84歳の春(1169)病気になり病床を見舞った後白河院は結縁のために法華経1巻をよみ,病気治癒のための今様を歌い乙前を感泣させた。没後も篤く後世(ごせ)を弔ったという。後白河院の狂態ともいえる今様の愛好が乙前の名を後世に残すことになった。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「乙前」の解説

乙前 おとまえ

1087?-1170? 平安時代後期の女性芸能者。
寛治(かんじ)元年?生まれ。今様の名手といわれ「梁塵秘抄口伝集(りょうじんひしょうくでんしゅう)」によると保元(ほうげん)2年後白河天皇と師弟の関係をむすぶ。法皇の「昼はひねもす,夜はよもすがら……」という今様の愛好ぶりが乙前の名を後世につたえることとなった。嘉応(かおう)2年ごろ84歳で没したという。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の乙前の言及

【梁塵秘抄口伝集】より

…巻十は完本で法皇50歳代の著述。法皇の10余歳から40年に及ぶ長く厳しい今様の修練,当代の歌い手への批評,熊野・賀茂などの社寺における今様の霊験譚,そして法皇が到達した今様と仏教との融合の境地を記すが,特に法皇の若いころの今様への異常なまでの執着と修練や,美濃国青墓の傀儡女(くぐつめ)目井(めい)の養女乙前(おとまえ)(すでに70歳を過ぎた老女)を師に得て奥義を会得したこと,また文中豊富に引用される歌曲名とその伝承の実態などは,芸能史,音楽史の面からも注目される貴重な口伝書といえる。【岡見 弘】。…

※「乙前」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android