乞食団(読み)こじきだん(英語表記)Geuzen

改訂新版 世界大百科事典 「乞食団」の意味・わかりやすい解説

乞食団 (こじきだん)
Geuzen

八十年戦争初期,ネーデルラントの反政府派。この呼称の由来は今日なお十分に明確でないが,通説は次のようである。1566年4月下級貴族が大挙ブリュッセルの宮廷に押しかけ,厳酷な宗教政策の緩和を求める請願書を執政マルハレータMargaretha(1522-86)に提出した。このとき側近のベルレーモンは執政の耳もとでささやいた。〈たかが乞食gueuxどもにすぎません〉。この〈乞食〉の蔑称が以後一般に反政府勢力により,みずからの栄誉の呼称として用いられ,乞食椀と乞食団メダルがそのシンボルとなった。フランス語のgueuxをオランダ語化してgeuzenの語が用いられる。軍事上とくに重要な働きをした〈海乞食Zeegeuzen,Watergeuzen〉は,政治的または宗教的理由から亡命した貴族・市民のほか海上に冒険を求めた貧民や失業者で構成される集団で,ドイツのエムデン,フランスのラ・ロシェル,イギリスの諸港を根城商船拿捕(だほ),海岸集落の略奪を行った。彼らは68年オランイェ公から私拿捕特許状を得,その一隊が72年4月1日ブリーレを占領すると,ホラントゼーラントの諸都市も次々に彼らの軍門に下ったのである。これらのことが契機となって,以後のスペイン支配に対する反抗は成功裏に進展した。このほかに内陸で戦った〈森乞食Bosgeuzen〉が著名であるが,この集団は67年政府軍に蹴散らされてフランドルの森に逃げ込んだ新教徒軍に起源をもち,森の中の隠れ場から出撃してスペイン軍にゲリラ戦を挑んだ。
八十年戦争
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百科事典マイペディア 「乞食団」の意味・わかりやすい解説

乞食団【こじきだん】

1563年スペイン国王フェリペ2世の暴政に反抗して蜂起(ほうき)したネーデルラントの人びとの呼称。オランダ語ではヘーゼンGeuzen,ドイツ語ではゴイゼンGeusen。貴族のほか多数のカルバン派市民が参加して大弾圧にも屈せず猛烈に抵抗した。海上でスペイン船艦を襲った海賊船隊はオラニエ公ウィレム1世と呼応しつつオランダ独立の原動力となった。→八十年戦争

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世界大百科事典(旧版)内の乞食団の言及

【オランダ】より

…貴族の反抗,聖像破壊運動(1566),アルバ公に率いられたスペイン軍の到着(1567)とアルバ公の圧政は,ついに八十年戦争(1568‐1648)を引き起こした。〈海乞食〉(乞食団)の蜂起による反乱側のホラント,ゼーラント両州占拠(1572)を経て,ネーデルラント北部の7州は,1579年ユトレヒト同盟を結成し,81年スペイン人に対する独立を宣言した。反乱の指導者オラニエ公ウィレム1世が84年暗殺されると,オルデンバルネフェルトが共和国の政治を指導し,オラニエ公の遺子マウリッツを指揮官にスペイン軍と戦い,1609年にはスペインと12年間の休戦条約を結んで実質的な独立を達成した。…

【オランダ共和国】より

…ことにこの地方で大勢力を張ってきたオラニエ公ウィレム1世,エフモント公ら大貴族は,統治の中枢から排除されることを恐れ,政庁に公然と反抗を開始した。66年,数百名の中小貴族がブリュッセルに集まって盟約を結び,執政パルマ公妃マルガレータに面会して新教禁止の緩和を訴え,乞食団を結成した。また,カルバン派の市民や農民は貴族の援護のもとに野外説教集会を開き,ついに教会や修道院を襲う聖像破壊運動(イコノクラスム)を引き起こした。…

※「乞食団」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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