亀山(市)(読み)かめやま

日本大百科全書(ニッポニカ) 「亀山(市)」の意味・わかりやすい解説

亀山(市)
かめやま

三重県北部、鈴鹿(すずか)山脈東麓(ろく)にある市。1954年(昭和29)亀山町と昼生(ひるお)、井田川(いだがわ)、川崎、野登(ののぼり)の4村が合併、市制を施行して成立。2005年(平成17)関町を合併、市域が西に大きく広がった。大部分は山地丘陵で、東流する鈴鹿川と安楽(あんらく)川が山麓を離れて伊勢(いせ)平野に出る所に平地が開ける。市街地は鈴鹿川左岸の河岸段丘上に旧東海道に沿って細長く発達している。JR関西本線と紀勢本線の分岐点であり、また国道1号、名阪国道、25号、306号が通じ、東名阪自動車道と新名神高速道路が亀山ジャンクションで、東名阪自動車道と伊勢自動車道が関ジャンクションでつながる交通の要地である。

 古代から開発の進んだ地で、記紀にみえる日本武尊(やまとたけるのみこと)の陵墓に指定される能褒野(のぼの)前方後円墳など県下でも古墳の多い所である。城下町としては、1265年(文永2)関実忠(さねただ)が若山に丹陵(たんりょう)城(亀山古城)を築いてから始まり、300余年にわたって関一族の本拠であった。現在の城と城下町は、1590年(天正18)に豊臣(とよとみ)秀吉に封じられた岡本宗憲(むねのり)が旧城の南東の地に新たに構築したものである。1604年(慶長9)関一政により亀山藩が立藩、その後藩主はたびたびかわったが、いまも残る多聞櫓(たもんやぐら)は正保(しょうほう)年間(1644~1648)に建築された武器庫で県の史跡に指定されている。現市域では江戸時代初期から亀山、関、坂下(さかした)の3宿が東海道の宿駅としても整備され、1843年(天保14)の記録によると、亀山宿では人口1549、家数567、旅籠(はたご)21を数えた。市の産業には、緑茶、紅茶のほか、美術ろうそくとして知られる「亀山ろうそく」がある。名阪国道の開通に伴い工業化が進み、名阪亀山関工業団地、亀山・関テクノヒルズなどの工業団地が造成されて、シャープの工場などの先端技術企業が進出している。東海道の野村一里塚は国指定史跡で、慈恩寺の阿弥陀如来(あみだにょらい)立像は平安前期の作で国の重要文化財に指定されている。関町新所(せきちょうしんじょ)地蔵院の本堂および愛染堂・鐘楼も国指定重要文化財。面積191.04平方キロメートル、人口4万9835(2020)。

[伊藤達雄]

『『亀山のあゆみ』(1975・亀山市)』


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