二本松(読み)にほんまつ

精選版 日本国語大辞典 「二本松」の意味・読み・例文・類語

にほんまつ【二本松】

福島県中北部の地名江戸時代、丹羽氏一〇万石の城下町奥州街道杉田と油井の間の宿駅として発展。昭和三三年(一九五八市制

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デジタル大辞泉 「二本松」の意味・読み・例文・類語

にほんまつ【二本松】

福島県中北部の市。もと丹羽氏の城下町、奥州街道の宿駅。城跡は霞ヶ城とよばれる。家具製造・酒造・繊維工業などが盛んで、10月には提灯祭が行われる。平成17年(2005)12月安達町岩代町東和町と合併。人口6.0万(2010)。

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改訂新版 世界大百科事典 「二本松」の意味・わかりやすい解説

二本松[市] (にほんまつ)

福島県北東部の市。2005年12月旧二本松市と安達(あだち),岩代(いわしろ),東和(とうわ)の3町が合体して成立した。人口5万9871(2010)。

二本松市北部の旧町。旧安達郡所属。人口1万1752(2000)。福島市と旧二本松市にはさまれ,西は二本松の市街地に続く。町域の大部分阿武隈高地西部の丘陵地帯にある。二本柳,油井は奥州街道の宿場町で,江戸後期には上り荷は二本柳,下り荷は油井が受けもっていた。上川崎では江戸時代から二本松藩の保護を受けて和紙の生産が盛んで,大正期に最盛期を迎えた。農業は,米作を中心とするが,近年交通条件の整備とともに蔬菜,果樹など都市近郊型農業に移行しつつある。また福島市と旧二本松市の中間にあることから,ベッドタウンとして大規模な宅地開発も進められたが,現在人口は漸減している。JR東北本線,国道4号線が通じる。

二本松市南東部の旧町。旧安達郡所属。1955年小浜町を中心に1町2村が合体,改称。人口9585(2000)。旧二本松市の東,阿武隈高地の西麓に位置し,丘陵が多くその間に耕地が点在するが,山間高冷地のため自然条件は厳しい。古くから養蚕・製糸業が発達し,安達絹の産地として知られた。中心の小浜は近世に磐城街道の宿場町として発達し,1・5の日に六斎市も開かれていた。若年層の都市流出が著しく人口は合体当時の2/3まで減少し,1971年過疎地域に指定されたが,近年流出は鈍化している。農業は養蚕中心から葉タバコ,野菜,キノコ類の生産が増加している。杉沢の大杉は天然記念物に指定されている。

二本松市北東部の旧町。旧安達郡所属。人口8507(2000)。阿武隈高地北西部にあり,標高300~500mの丘陵地帯に位置する典型的な山間農村である。農業は,養蚕,米作,肉牛飼育,タバコ栽培が行われるが,近年山林原野の草地化によって酪農も盛んになっている。零細経営の農家が主で全世帯の約8割は第2種兼業農家で,福島市や旧二本松市への通勤者が多い。北部に木幡(こわた)山(666m)があり,山頂付近の隠津島(おきつしま)神社の大杉は天然記念物に指定されている。
執筆者:

二本松市西部の旧市。1958年市制。人口3万6233(2000)。近世には丹羽氏10万石の城下町であった。市域は西部の安達太良(あだたら)山頂(1700m)を含む火山地域と,東部の標高200~300mの阿武隈高地西部丘陵地域に及び,阿武隈川が東部の丘陵地域を北東流する。阿武隈川の西側,市のほぼ中央部をJR東北本線,国道4号線,東北自動車道(二本松インターチェンジがある)が南北に走り,川の東側を東北新幹線が通過する。中心市街地は,霞ヶ城のあった城山(334m)南方の小丘陵によって南北に二分され,かつての仙台・松前道が通った亀谷(かめがい)の切通しなどで結ばれている。北側の地区には城下町の面影が残り,南側の地区にはJR二本松駅や中心商店街がある。古くから家具や酒を特産とし,市街地南部には近年自動車関連やプラスチック工業などの工場が進出してきている。安達太良山麓には国民温泉に指定されている岳(だけ)温泉,県立自然公園の霞ヶ城跡には二本松少年隊顕彰碑,智恵子抄碑があり,秋には菊人形祭が開かれる。市南部の郡山台遺跡は大量の焼米が出土したことで知られ,遺構などから10世紀に設けられた安達(あだち)郡衙の跡と推定されている。東部の阿武隈河畔には謡曲《黒塚》の舞台といわれる安達ヶ原がある。
執筆者:

陸奥国安達郡の城下町。弐本松とも書いた。南北朝のころ,奥州管領畠山高国が居城を構え,その子孫が二本松氏を称した。しかし地名として二本松が散見するのは戦国時代以後である。1586年(天正14),二本松義継の子義綱が本城に火を放って会津に走り,90年豊臣秀吉の奥州成敗の後,蒲生氏,上杉氏が支配した。松下氏(5万石),加藤氏(3万石)の領地を経て,1643年(寛永20)丹羽光重が白河より10万0700石で入部,城郭の大修築が行われて霞ヶ城とよばれた。丹羽氏は光重より11代長裕の1868年(明治1)まで国替えもなく225年間続いた。城下は仙台・松前道の宿駅でもあり,1644-55年(正保1-明暦1)に町割りが行われた。若宮,亀谷,本町,松岡,竹田,根崎の6町が街道沿いに連なり,郭外の東西両端の若宮,根崎の入口には冠木(かぶき)門が設けられた。各町には町奉行の下に町年寄,町検断,目付,長(おさ)町人が置かれた。《積達大概録》によれば城下6町通,20町132間,家数659軒であった。〈天明八年双松陸市漫録〉(《二本松市史》)では,総人数3118人,うち男1711人,女1407人,総家数741軒,駅馬88疋,辻番15ヵ所とある。本陣は1軒で,毎月9回,2・7・10の日に市が設けられた。二本松藩は戊辰戦争では奥羽越列藩同盟に加わり,1868年7月29日官軍の猛攻をうけて落城し,城下も焼き払われた。
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