朝日日本歴史人物事典 「二階堂保則」の解説
二階堂保則
生年:慶応1.9.9(1865.10.28)
明治後期から大正期の統計専門家。新潟県出身。初め菊太郎と称し,のち父の名を継いで改名。明治31(1898)年内務技手,32年内閣統計局嘱託となり,開始直後の「人口動態調査」を担当,詳細な死因分類の作成など,その改善充実に努める。さらに第1回国勢調査の実施が決まると,臨時国勢調査局調査課長として実施に当たり,大正10(1921)年1月退官。以後,早稲田大学,東京帝大(農学部,経済学部)などの統計学の講師を勤める。衛生統計,人口統計,統計学一般に関する論著多数。丹毒で発病後わずか4日で急死。<参考文献>二階堂つる『そのおもかげ』
(守岡隆)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報