五代美術(読み)ごだいびじゅつ

改訂新版 世界大百科事典 「五代美術」の意味・わかりやすい解説

五代美術 (ごだいびじゅつ)

中国,唐と宋との間にはさまれた五代(907-960)の時代は,中国が中原・蜀・江南の3文化圏に分かれ,それぞれが独自の文化を誇り,かつ相互に交流していた。この時代の美術界で目だつのは絵画の様式展開のめざましさで,中国のみならず世界の美術史のなかでも一つの頂点をなしている。中原では五つの王朝が交替したが,戦乱のなかで,水墨山水画が大きく展開した。唐後半に起こった潑墨山水画の墨面による表現と,従来の線描的要素を結合させたのが荆浩であり,ここに北方系山水画の基礎が固められ,北宋初期の李成,関仝(かんどう),范寛らの地方性の強い画風に継承されていく。蜀の地は唐代から玄宗,僖宗らが中原の乱を避けて幸した地であり,中央の文化が直接浸透していた。その美術は古様な唐風を基調にしており,代表的画家,孫位も呉道玄風の闊達な作で知られたが,そこには潑墨の影響も加味され,より運動感に富んだ表現が行われた。火や水という不定形なモチーフを技法的に安定させたのも蜀の画壇である。黄筌一派の花鳥画も唐の遺風を伝える華麗で装飾的な画風で,北宋の院体花鳥画に大きな影響を及ぼした。

 江南の地は,南唐の治下,繁栄を極め,繊細,優美な文化が展開した。南唐二陵墳墓をみればわかるとおり唐風によっているが,絵画界では後世に巨大な影響を与えることになる試みが行われていた。花鳥画における徐煕,その孫徐崇嗣,山水画における董源,巨然の存在がそれである。徐熙は唐風の左右相称的構図の装飾画を制作する一方で,墨彩を中心とする新傾向をもみせた。徐崇嗣は後者を黄筌系の画風と合体させて輪郭を排した没骨(もつこつ)画という新ジャンルを確立した。董源も旧様の青緑山水風と新様の粗放な山水画をかき,巨然が後者の要素を展開させて江南系山水画を確立させた。この3地域の美術を通じていえることは,水墨画の技法の発達,画家,鑑賞者の両者にみられる文人意識の増大という事象で,このことが五代の絵画を特徴づけている。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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