五十嵐川(読み)イカラシガワ

デジタル大辞泉 「五十嵐川」の意味・読み・例文・類語

いからし‐がわ〔‐がは〕【五十嵐川】

新潟県中央部を流れる川。信濃川の一支流烏帽子えぼし山(標高1350メートル)に源を発する大谷川に、守門すもん岳(標高1537メートル)に源を発する守門川などを合わせ、三条市で信濃川に合流する。長さ41キロ。上流ニホンカモシカの密集生息地で知られる。

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日本歴史地名大系 「五十嵐川」の解説

五十嵐川
いからしがわ

下田村南部の烏帽子えぼし(一三五〇メートル)より発する大谷おおたに川は、笠堀かさぼり湖西方で笠堀川と合流、五十嵐川となって下田盆地を北西に流れる。北五百川きたいもがわあわヶ岳(一二九二・七メートル)より発する駒出こまで川を、また北五百川八木鼻やぎはなの崖下で守門すもん(一五三七・六メートル)より発する守門川を合流する。滝谷たきや鹿峠かとうげ付近で、栃尾・下田丘陵から大平おおだら川、新津にいつ村松むらまつ丘陵から鹿熊かくま川を加え、三条籠場かごばより平野部に出てほぼ北西に流れ、三条市街地西端で信濃川に注ぐ。延長四一キロ、流域面積三二九・二平方キロ。

川の名は垂仁天皇の皇子五十日足彦命が下田郷へ下り農耕治水の技術を伝え開発したという伝えにちなむという。文禄五年(一五九六)九月一六日の直江兼続条書(越佐史料稿本)に「いからし川かこせき甘糟方へ書状」とみえる。中世から近世初期にかけての河道は、下田郷では森町もりまちから田屋たや江口えぐち飯田いいだへと現河道より北側にほぼ直線状に流れ、下大浦しもおおうら辺りでは今より南側を流れていたという(下田村史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「五十嵐川」の意味・わかりやすい解説

五十嵐川
いからしがわ

新潟県の中央を横断する信濃川(しなのがわ)の支流。源を新潟・福島県境付近にある烏帽子(えぼし)山(1350メートル)に発し、下田盆地(しただぼんち)を流れて三条市で信濃川に合流する。延長40.8キロメートル。上流の下田盆地は中世、五十嵐氏の所領で、式内社五十嵐神社や八木ヶ鼻(やぎがはな)の名勝地がある。五十嵐川は八木ヶ鼻で大谷(おおや)川と守門(すもん)川に分かれ、大谷川筋には笠堀(かさぼり)ダムがあり、また、ニホンカモシカの密集生息地(国指定天然記念物)として知られる。守門川の谷は旧八十里越(ごえ)の山路で、国道289号の全通に向け工事が進められている。近世、下田郷(ごう)は三条金物の鍛冶炭(かじたん)産地で、五十嵐川の水運を利用して三条に運ばれた。最近は奥地のダム開発を生かした観光開発に力が注がれている。

[山崎久雄]

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世界大百科事典(旧版)内の五十嵐川の言及

【下田[村]】より

…人口1万2017(1995)。信濃川支流五十嵐川流域を占め,川沿いの低地と福島県境をなす山地からなる。古くから下田郷と呼ばれた地で,中世には土豪五十嵐氏の支配下にあった。…

※「五十嵐川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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