五島 慶太(読み)ゴトウ ケイタ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「五島 慶太」の解説

五島 慶太
ゴトウ ケイタ


肩書
運輸通信相,東急グループ創立者,東京急行電鉄会長

旧名・旧姓
旧姓=小林

生年月日
明治15年4月18日

出生地
長野県小県郡青木村

学歴
東京帝大法科大学政治学科〔明治44年〕卒

経歴
農商務省を経て、大正2年鉄道院に入る。9年退官して、武蔵野鉄道(のち東京横浜電鉄)常務となる。11年目黒蒲田電鉄を設立し専務。昭和14年両社を合併し、さらに17年東京急行電鉄と改称。この間、池上電鉄、玉川電鉄、京浜電鉄など私鉄各社を買収・合併し、私鉄経営のナンバーワンとなる。19年には東条内閣の運輸通信相となり、戦後公職追放、26年解除。27年東急電鉄会長に就任。以来、交通を中心に百貨店、土地開発、レジャーランド、映画などを含む多角的事業体の東急グループの強化・発展に尽力、旺盛な事業拡張から“強盗慶太”の異名をとった。また五島美術館や東横学園、武蔵工業大学、亜細亜大学などを設立する一方、茶器の蒐集家でもあり、茶道界の有力な後援者であった。著書に「事業をいかす人」などがある。

趣味
茶道

没年月日
昭和34年8月14日

家族
長男=五島 昇(東急電鉄会長)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「五島 慶太」の解説

五島 慶太
ゴトウ ケイタ

大正・昭和期の実業家 東急グループ創立者;東京急行電鉄会長;運輸通信相。



生年
明治15(1882)年4月18日

没年
昭和34(1959)年8月14日

出生地
長野県小県郡青木村

旧姓(旧名)
小林

学歴〔年〕
東京帝大法科大学政治学科〔明治44年〕卒

経歴
農商務省を経て、大正2年鉄道院に入る。9年退官して、武蔵野鉄道(のち東京横浜電鉄)常務となる。11年目黒蒲田電鉄を設立し専務。昭和14年両社を合併し、さらに17年東京急行電鉄と改称。この間、池上電鉄、玉川電鉄、京浜電鉄など私鉄各社を買収・合併し、私鉄経営のナンバーワンとなる。19年には東条内閣の運輸通信相となり、戦後公職追放、26年解除。27年東急電鉄会長に就任。以来、交通を中心に百貨店、土地開発、レジャーランド、映画などを含む多角的事業体の東急グループの強化・発展に尽力、旺盛な事業拡張から“強盗慶太”の異名をとった。また五島美術館や東横学園、武蔵工業大学、亜細亜大学などを設立する一方、茶器の蒐集家でもあり、茶道界の有力な後援者であった。著書に「事業をいかす人」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「五島 慶太」の解説

五島 慶太 (ごとう けいた)

生年月日:1882年4月18日
大正時代;昭和時代の実業家。東京急行電鉄会長;運輸通信相
1959年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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