井口(読み)いのくち

日本歴史地名大系 「井口」の解説

井口
いのくち

地名としての井口の初出は、能登の守護吉見氏頼に属し応安二年(一三六九)九月二四日に越中の反幕府勢力桃井直常方の「井口・千代様城」を討ったという、同年一二月日の得田章房軍忠状(尊経閣文庫蔵得田文書)である。しかし井口には平安後期以来井口氏がいて、藤原利仁の三男末裔と称している(「源平盛衰記」巻三〇)。「太平記(巻一三)によると、建武二年(一三三五)八月、中先代の乱に際して北陸で挙兵した名越時兼方に加わった越中勢のなかに「野尻・井口・長沢・倉満ノ者共」とある。また同天正本などには、同年一一月の石動せきどう山攻撃に加わった者を「越中ノ守護普門蔵人利清并ニ井口・野尻・長沢・波多野ノ者共」としている。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「井口」の意味・わかりやすい解説

井口
いのくち

富山県南西部、東礪波郡(ひがしとなみぐん)にあった旧村名(井口村(むら))。現在は南砺(なんと)市の北部を占める一地区。2004年(平成16)東礪波郡城端(じょうはな)町、井波(いなみ)町、福野(ふくの)町、平(たいら)村、上平(かみたいら)村、利賀(とが)村、西礪波郡福光(ふくみつ)町と合併、市制を施行して南砺市となる。旧村域は、高清水(たかしょうず)断層崖(がい)を侵食した赤祖父川(あかそふがわ)などの複合扇状地を占める農村地帯。面積の65%は山地で、耕地は北側に広がる。平安中期に井口氏が居住し、鎌倉時代の越中(えっちゅう)武士団はその後裔(こうえい)といわれる。戦国時代に今村氏(井口氏の子孫)がいた井口城が落城、以来再興されなかった。赤祖父湖は赤祖父川上流にある農業用溜池で、1945年(昭和20)完成、貯水量76万トン。赤祖父山はブナ原生林で知られ、中腹にはフクジュソウの自生地がある。

[深井三郎]

『『井口村史』全2巻(1992~1995・井口村)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「井口」の意味・わかりやすい解説

井口
いのくち

富山県南西部,南砺市北東部の旧村域。赤祖父山西斜面,砺波平野南部にある。 1889年村制。 2004年城端町,村,上平村,利賀村,井波町,福野町,福光町と合体して南砺市となった。山地にはブナの原生林があり,スギ植林が盛ん。赤祖父川のつくる扇状地では米作が行なわれる。

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改訂新版 世界大百科事典 「井口」の意味・わかりやすい解説

井口 (いのくち)

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普及版 字通 「井口」の読み・字形・画数・意味

【井口】せいこう

井筒。

字通「井」の項目を見る

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