井筒俊彦(読み)いづつとしひこ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「井筒俊彦」の意味・わかりやすい解説

井筒俊彦
いづつとしひこ

[生]1914.5.4. 東京
[没]1993.1.7. 神奈川
哲学者,言語学者。多くの言語に精通し,古今東西文献を読みこなして得た,該博な知識を研究にいかした。 1937年慶應義塾大学文学部卒業後,カナダのマックギル大学,イラン王立哲学アカデミーで学び,1941年,27歳にして名著と評価された『アラビア思想史』を発表。 1947年慶大教授就任イスラム神秘主義,比較思想,さらに東洋哲学へと研究の場を広げた。 1956年に『言語と魔術』を英文で発表,以来多くの作品を外国語で執筆。スーフィズム道教との哲学概念の比較論文など,海外で高い評価を受けた。 1969年に慶大を辞し,マックギル大学教授に就任,その後イラン王立哲学アカデミー教授となるが,革命の動乱のなかの 1979年に帰国。イスラム神秘主義をテーマとした『イスラーム哲学原像』 (1980) ,『イスラーム文化』 (1982) のほか,『意味の構造』 (1972) ,『意識本質』 (1983) などの言語哲学的著作,『禅仏教の哲学に向けて』 (1977) ,『大乗起信論』を解説した『意識の形而上学』 (1993) ,『井筒俊彦著作集』 12巻 (1993) など,著書多数コーラン口語訳 (1957~58) も高い評価を受けた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「井筒俊彦」の意味・わかりやすい解説

井筒俊彦
いづつとしひこ
(1914―1993)

言語学者、東洋哲学者、イスラム学者。東京都生まれ。1937年(昭和12)慶応大学文学部卒業。1954年慶応大学教授となり、1969年まで務め、1981年同名誉教授となる。これまで日本ではほとんど研究されていなかったイスラム学を手がけ、イスラム思想研究の第一人者として活躍した。とくにイスラム神秘主義の研究は高い評価を受ける。著書は『イスラーム思想史』(1975)、『イスラーム哲学の原像』(1980)、『イスラーム文化』(1982)など多数ある。『コーラン』の邦訳でも知られる。日本学士院会員。平成5年1月7日没。

[編集部 2018年10月19日]

『『井筒俊彦著作集』11巻・別巻1(1991〜1993・中央公論社)』『『井筒俊彦全集』12巻・別巻1(2013〜2016・慶応義塾大学出版会)』

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百科事典マイペディア 「井筒俊彦」の意味・わかりやすい解説

井筒俊彦【いづつとしひこ】

イスラム学者,言語哲学者。東京生れ。慶大卒(同窓に池田弥三郎がいた)。慶大,マッギル大(カナダ),イラン王立哲学アカデミーの教授を歴任。天才的な語学力を生かした,ギリシア,ユダヤ,イスラムからインド,中国に及ぶ比較思想研究は比類ないスケールをもつ。主著に《イスラーム思想史》《神秘哲学》《意識と本質》ほかがあり,《コーラン》《ルーミー語録》などの訳業も評価が高い。エラノス会議メンバー。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「井筒俊彦」の解説

井筒俊彦 いづつ-としひこ

1914-1993 昭和-平成時代のイスラム学者。
大正3年5月4日生まれ。アラビア語など中東の諸語を修得,旧約聖書からイスラム思想へと研究をすすめる。昭和29年母校慶大の言語文化研究所教授。44年カナダのマッギル大教授,50年イラン王立哲学研究所教授。57年学士院会員。「コーラン」の原典に忠実な和訳でも知られる。平成5年1月7日死去。78歳。東京出身。著作に「イスラーム思想史」「意識と本質」など。

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