京浜運河(読み)けいひんうんが

日本大百科全書(ニッポニカ) 「京浜運河」の意味・わかりやすい解説

京浜運河
けいひんうんが

神奈川県川崎市の臨海部にある運河。川崎港(国際戦略港湾)の中心部をなす。北東は多摩川河口南方から続く川崎航路に、南西は鶴見川(つるみがわ)河口部に設けられた鶴見航路に続いて一連の水面をなしている。一帯はもとは多摩、鶴見両川の下流に形成された三角州であったが、1914年(大正3)から着工された京浜工業地帯造成事業に付帯して運河が築造され、臨海工場の原料輸送と製品搬出用の水路としての機能を果たし、沿岸には諸工場の専用埠頭(ふとう)が設けられ、日本の工業港の先駆をなした。第二次世界大戦後は船舶の大型化に伴い、京浜運河は10万重量トンの鉱石運搬船がようやく接岸できるにすぎなくなり、その影響を受ける日本鋼管(現、JFEスチール)は運河南東海面に扇島の、またその他の諸会社(電力、自動車、石油など)は新扇島の新埋立地を造成したので、京浜運河は内陸運河となった。また、この運河の下に日本鋼管専用の海底トンネルと、川崎港海底トンネルがつくられ、本土と埋立地間の連絡に使用されている。

[浅香幸雄]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「京浜運河」の意味・わかりやすい解説

京浜運河
けいひんうんが

横浜市鶴見川河口から川崎市の多摩川河口まで連絡する運河。扇島 (人工島) と防波堤によって境され,延長約 8km,幅約 500m,水深約 12m。沿岸一帯は京浜工業地帯の核心をなす大規模な製鉄化学,食品,石油などの工場群が立地し,扇島は原燃料集積地となっている。 1920年浅野総一郎が着工,当時の日本最大の埋立て工事,大運河工事であった。現在でも全国有数の船舶交通量で,特にタンカーが多い。

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事典・日本の観光資源 「京浜運河」の解説

京浜運河

(神奈川県横浜市鶴見区・川崎市川崎区)
東京湾100選指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

世界大百科事典(旧版)内の京浜運河の言及

【川崎[市]】より

…1907年国鉄の多摩川鉄橋の橋詰に横浜精糖(後に明治製糖)が設立されて近代工業の先駆けとなり,次いで東京芝浦電気,日本コロムビア,味の素などの工場も建設され,工業地区が形成された。13年浅野総一郎,安田善次郎らにより,横浜の鶴見川河口から川崎に至る臨海工業地区の造成が始まり,28年約5.8km2の埋立地と,横浜港と東京港を結ぶ京浜運河が完成,日本鋼管,浅野セメント,昭和肥料(現,昭和電工),日清製粉,富士電機などの並ぶ大工場地帯が生まれた。1924年横浜,横須賀に次いで県内3番目に市制を施行したが,当時の人口は4万人足らずであった。…

【東京湾】より

…やがて横浜港が開港し,近代日本の玄関口として繁栄する。関東大震災前後から重化学工業化の波が押し寄せて横浜港と東京を結ぶ京浜運河とそれに沿う臨海工業地帯が,浅野総一郎の尽力等で形成されるようになり京浜工業地帯が誕生した。また震災救援を契機に東京港の建設が進められることになり,1941年には開港にこぎつける。…

※「京浜運河」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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