人民日報(読み)ジンミンニッポウ

デジタル大辞泉 「人民日報」の意味・読み・例文・類語

じんみんにっぽう【人民日報】

中華人民共和国日刊新聞中国共産党の中央機関紙で、1948年創刊。共産党の思想と方針の周知徹底を目的とし、その記事は党と政府の公式見解を示している。本部は北京にあり、郵便によって全国に配達する方式をとっている。かつて1000万以上を誇った部数は減少傾向にあり、2011年現在約281万部。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「人民日報」の意味・読み・例文・類語

じんみんにっぽう【人民日報】

中国共産党中央委員会の機関紙。日刊。一九四八年創刊。社説は党または中央政府の意見を代表。八五年から海外版を発行。本社北京市。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「人民日報」の意味・わかりやすい解説

人民日報
じんみんにっぽう / レンミンリーパオ

中国共産党中央委員会の機関紙。英語表記People's Daily。前身は党中央晋察冀(しんさつき)分局の機関紙『晋察冀日報』と党晋冀魯豫(しんきろよ)辺区中央局の機関紙『晋冀魯豫 人民日報』。1948年6月15日、両紙が合併して河北省平山県里庄で華北(かほく/ホワペイ)中央局機関紙として創刊された。1949年3月15日、中国共産党とともに本部を北京に移転。同年8月正式に党中央委員会機関紙となり、1948年6月15日からの号数も引き継いだ。題号は毛沢東(もうたくとう/マオツォートン)の揮毫(きごう)。日刊、ブランケット判、24ページ建て(土日は12ページ)。2012年の時点で発行部数285万部(『中国新聞年鑑』2014年版)。

 1985年7月海外版を創刊、80余の国と地域で華字紙として発行されている。また、2009年8月にはチベット語版を創刊、チベット自治区全域と四川(しせん/スーチョワン)、雲南(うんなん/ユンナン)、青海(せいかい/チンハイ)、甘粛(かんしゅく/カンスー)などのチベット族居住区で発行されている。

 中華人民共和国建国以来、中国を代表する新聞であり、単なるニュース伝達にとどまらず、党指導部の思想、方針、政策を内外に伝え、広めることを主旨とする。このため、ことに論評や社説は内外に注目され、影響力は大きい。

 組織としての人民日報は、中国共産党中央委員会直属の事業単位でありマスコミ機関と位置づけられ、「編集委員会指導下の社長責任制」を採用している。現社長は楊振武(ヤンチェンウー)(1955― )、総編輯(しゅう)は李宝善(リーパオシャン)(1955― )。

 2009年の組織改革以来、23内部部局、国内外72支社局をもち、『環球(かんきゅう)時報』『諷刺与幽黙(フォンツーユィヨウモー)(風刺ユーモア)』など26の系列新聞、定期刊行物、および、人民日報出版社、人民日報印刷廠(しょう)、中聞印務投資集団の印刷系3企業集団などを傘下に収める。

 マルチメディア展開やデジタル化にも積極的で、1997年1月インターネット版を正式に開設、2000年には人民網(じんみんもう)と改称。同サイトは2010年6月に人民網股份(こふん)有限公司となり、2012年4月には上海(シャンハイ)証券交易所に上場した。人民網は「権威性、大衆化、信頼性」をモットーとし、15か国語版で国内外に情報発信し、1日平均のページビュー(閲覧数)は約4億といわれる。また、人民日報は2012年7月、中国版ツイッター「微博(ウェイボー)」上に公式アカウントを開設、新しい情報環境下でも発言権を確保することを目ざしている。

[木原正博 2015年10月20日]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

知恵蔵 「人民日報」の解説

人民日報

中国共産党の日刊機関紙。約180万の発行部数を持ち、繁体字で印刷される海外版も有しているが、中国共産党の党員が約7300万人(2006年7月現在)であることからすれば、購読している党員比率は低い。一時は700万を超える発行部数を誇った同紙の著しい部数減は、地方紙、夕刊紙の台頭などメディアの多元化による影響と共に、中国社会における中国共産党の威信低下と無関係ではない。1948年6月、中国共産党華北地区の党機関紙として創刊され、建国直前の49年8月、正式に党中央機関紙となった。「海外版」の発行は85年7月1日から。「人民日報」の政治的役割は絶大であるが、同時に編集部の中には体制批判の立場をとるジャーナリストもしばしば存在してきた。近年では民主化運動の旗手として知られた劉賓雁(リウ・ビンイエン)や王若望(ワオ・ルオワン)も、同紙副編集長を務めた反体制作家である。89年4月以降の学生運動の高揚に際しては、同紙の記者たちも民主化や言論の自由を求めて多数立ち上がった。そのために同年6月4日の血の日曜日事件(第2次天安門事件)以降は同社が実質的な軍事管制下に置かれた。今日、「人民日報」以外の様々なメディアが社会的な役割を担っており、「人民日報」は一種の官報のようになってしまっている。06年1月、「氷点週刊」が歴史認識を理由に停刊されるなど、中国の言論界は厳しい状況にある。

(中嶋嶺雄 国際教養大学学長 / 2008年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「人民日報」の意味・わかりやすい解説

人民日報 (じんみんにっぽう)
Rén mín rì bào

中国共産党の中央機関紙。中国でもっとも権威ある新聞で現在の発行部数は約500万。党中央軍事委員会機関紙《解放軍報》,各地方組織の機関紙はもちろん,共青団の《中国青年報》,民主党派等の《光明日報》等の頂点に立って党の政策を宣伝する。日本の一般紙が事件の報道,商品の広告を主とする情報第一主義なのとは対照的である。月刊の記事索引があり,1975年1月から縮刷版も刊行されている。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「人民日報」の意味・わかりやすい解説

人民日報【じんみんにっぽう】

中国共産党中央委員会機関紙。1948年創刊時は華北解放区の党機関紙だった。社説は中国共産党の意見を代表するものとして国際的に重視される。主として新華社がニュースを提供。横組。発行部数約300万部(1998年予約部数)。
→関連項目劉賓雁

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「人民日報」の意味・わかりやすい解説

人民日報
じんみんにっぽう
Ren-min Ri-bao

中国共産党中央委員会の機関紙。共産党の方針の徹底を目的とする。 1948年河南省邯鄲で創刊され,革命成功の 49年から北京で発行されている。社説や記事は北京政府の見解を代表するものとして地方の新聞にも転載される。 93年の発行部数は朝刊で約 300万部といわれている。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「人民日報」の解説

『人民日報』(じんみんにっぽう)

中国共産党の中央機関紙。もと華北解放区の党機関紙として,1948年河北省邯鄲(かんたん)で創刊。共産党中央委員会が石家荘(せっかそう)に移るとともにその機関紙となり,49年4月からは北京で発行された。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内の人民日報の言及

【機関紙】より

…ジョレスが暗殺されて以降は,《ユマニテ》の低迷をマルセル・カシャンが主幹になって立て直した。《ユマニテ》が共産党中央機関紙となったのは20年からだが,以降イタリアの《ウニタ》,中国の《人民日報》,日本の《赤旗》とならんで,日刊の共産党機関紙の代名詞のようになっている。しかし政党機関紙は共産党だけにあるのではない。…

【新聞】より

…革命成功後,前者はソ連共産党中央委員会機関紙,後者はソ連最高会議幹部会機関紙に発展したが,ソ連崩壊後,両紙とも民間の新聞社で発行されるようになった。中国では革命前の48年から中国共産党中央委員会機関紙《人民日報》が発行され,49年の革命後は労働者,青年などの大衆団体が《工人日報》《中国青年報》などを創刊した。66年からの〈文化大革命〉によって《人民日報》を除きこれら多くの新聞が停刊を余儀なくされたが,文革終了後から復刊,創刊が相次ぎ,80年には文革前の紙数を超えた。…

※「人民日報」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android