人相学(読み)にんそうがく(英語表記)physiognomy

翻訳|physiognomy

精選版 日本国語大辞典 「人相学」の意味・読み・例文・類語

にんそう‐がく ニンサウ‥【人相学】

〘名〙 人相判断の術を研究する学問。〔現代日用新語辞典(1920)〕

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デジタル大辞泉 「人相学」の意味・読み・例文・類語

にんそう‐がく〔ニンサウ‐〕【人相学】

観相学かんそうがく

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改訂新版 世界大百科事典 「人相学」の意味・わかりやすい解説

人相学 (にんそうがく)
physiognomy

人相を調べてその人の気質や性格を明らかにし,さらにたどるべき運命も予測しようとする経験的な知の体系。人相術,観相学(術)などとも言う。この場合,人相には顔貌だけではなく,身体の形状,姿勢,動作なども含まれることがあり,霊魂と身体とは互いに共感・照応するものであって,人の気質や性格は身体の外面に反映されるとする考えが根底にある。英語などの西欧語は,ギリシア語のphysis(自然,本性)とgnōmē(知識,判断)の合成にもとづく。

地中海沿岸における人相学の起源は明らかでないが,すでにピタゴラスソクラテスは弟子になる者の資質をその容貌から推定したという。また,キケロによれば,人相を観(み)ることにたけていたゾピュロスZōpyrosが,ソクラテスの容貌に多くの悪徳を読みとって人々から嘲笑されたとき,ソクラテス自身はゾピュロスの言を認めて,それらの生来の悪徳を自分は理性によって克服したと述べている(《トゥスクルム論叢》)。当時の人相学は,アリストテレス学派の者が書いて長い間アリストテレスその人の著とされた《人相学》にうかがえる。その方法は顔貌,体つき,動作,声などについてある動物との類似を求め,その動物の性質を人に当てはめるもので,アプレイウスの作とされた《人相学》もこの動物類推の方法を用いている。

 またヨセフスの《ユダヤ戦記》には,父ヘロデ王によって処刑されたアレクサンドロスを詐称して偽の男が面会に来たのを,その人相から見破ったアウグストゥスと部下の話がある。ローマでは前139年に占星術師を追放したが,後に再び勢いを得て,カエサルも占星術を信じ,アウグストゥスは占星術師を顧問に加えていた。当時はホロスコープにより個人の運勢を占うことが流行しており,アウグストゥスに命じられマニリウスが書いた《アストロノミカ(星辰賦)》第3巻にはホロスコープ占星術が述べられている。その後アレクサンドリアで活躍したプトレマイオスの《テトラビブロス(四書)》は古代オリエントとギリシアの占星術の集大成であるが,その第3書で人相と運を論じている。西欧人相学にはこのように,古くから動物類推と占星術という二つの方法があった。

 占星術を好んだ神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世の寵を受けたM.スコットの《人相論》,三次方程式の解法で知られるG.カルダーノの《占星術的人相学》,教皇アレクサンデル6世に破門されて焚刑に処せられたG.サボナローラの伯父M.サボナローラが著した《人相学》など,いずれも占星術による人相学である。他方,11世紀のアラビア科学を代表するイブン・シーナーの《動物の諸本性》は,霊魂と動物の形態とを目的論的に説明して神の摂理を説き,これに触発されたアルベルトゥス・マグヌスは《動物について》の中で人相学を論じている。

 そしてルネサンス期にはアリストテレスの作と信じられていた《人相学》が人文主義者たちに広く読まれて,動物類推の人相学も流行していった。とくに当時の芸術家たちは,古代の神々やイエス・キリストとその使徒らの容貌を,その性格やたどった運命にかなうように描く必要から,人相学を研究した。ポンポニウス・ガウリクスPomponius Gauricusの《彫刻論》は人相学も論じ,グロテスクな横顔の素描を描いたレオナルド・ダ・ビンチも人相学に興味を示し,鼻の形に注目している。また,A.デューラーは多血質,胆汁質粘液質,憂鬱(ゆううつ)質などのいわゆる四性論にもとづいた人相学に凝って多くの作品を描いている。この四性論的人相学はヒルThomas Hillの《人間の観察》などにも詳しい。一方,G.B.dellaポルタの著《観相術》はアリストテレス学派に倣って,動物類推法により人相を系統的に論述し,P.P.ルーベンス,C.ル・ブランらの画家に影響を与えている。

 さらにJ.K.ラーファターの《人相学断章》は四性論と動物類推の方法を駆使して顔貌の諸特徴を詳細に解釈した。H.deバルザックは人物描写に当たってラーファターの説を参考にしたし,当時の多くの詩人も彼の影響を受けている。また,C.ダーウィンはその鼻の形のゆえに,ラーファターの信奉者だった船長に忍耐力を疑われ,危うく観測船ビーグル号に乗りそこねるところだった。もっとも,I.カントは《実用的見地における人間学》の中で観相学的な性格論を肯定しながらも学問たりえないとし,ポルタやラーファターの説を否定している。

 19世紀初めには医師F.J.ガルによる骨相学が現れた。彼は脳に気質や能力に対応する27個の〈器官〉を定め,それらは脳の表面に盛り上がっていて頭蓋骨を隆起させるから,頭をよく観察すれば気質や能力の発達程度がわかると考えた。一見科学的な骨相学は多くの信者を得,19世紀半ばまで欧米を席巻した。骨相図が巷に氾濫し,骨相学会が誕生し,T.ブラウン,E.スウェーデンボリ,F.J.ハイドンら有名人の頭蓋骨が狂信的な骨相学者によって墓から持ち去られた。だが19世紀後半以降,大脳中枢の地図が明確に決定されてゆくにつれて,ガルの説は誤りとわかり,骨相学は急速に信用を失っていった。近年では精神医学者のE.クレッチマーやW.H.シェルドンその他によって気質と体型との関係が明らかにされつつあり,人相学に新しい根拠を提供している。

中国においては,伏羲(ふくぎ)の時代に八卦が,禹の時代に九星が,黄帝の時代に干支が作られて,周の文王のときに易学として占卜術が集大成されたと伝えられるが,これに続いて東周の叔服(しゆくふく)が吉凶の新しい予知法として相法を編んだのが人相学(相術,相法)の始まりといわれる。叔服は星卜にもたけ,魯の文公14年に彗星が北斗に入ったのを見て7年以内に宋,斉,晋の王が乱に死ぬことを予言し,また魯の宰相公孫敖(こうそんごう)の2子を観相したという。彼は形は質であり,相学は質学であるとして,人相学を形而下学と規定し,占卜術と区別したと伝えられる。もともと古代中国では医と相とは分離しがたく,顔貌,骨格,皮膚の色調やしわなどを観察すれば内臓の病気や寿命がわかると,《黄帝内経》(《素問》《霊枢》)にある。叔服を継いだ姑布子卿(こふしけい)は,一説に孔子の幼少期にその人相を観て,将来聖人となることを予言したとされる。このとき,幼児の頭頂部が凹んで孔となり,その周囲が隆起して丘となっていたので,後に孔丘と名のったという。

 叔服,姑布子卿は骨相を重んじたが《荀子》非相篇にもたたえられた楚の唐挙(とうきよ)は気色を観ることを考案して,人相学をほぼ確立させた。彼は後に秦の宰相となった燕の蔡沢(さいたく)を観相し,鼻はサソリのようで,肩は高く,顔は大きく,鼻筋がつまって膝は曲がっていて,聖人は相がないといわれていることに該当すると答え,また寿命は向後43年と予言した(《史記》范雎(はんしよ)・蔡沢列伝)。秦の始皇帝による焚書の際には,唐挙の観相に信がおかれたゆえか,相書はその難を免れたという。また漢の高祖は,かつて農耕に従事していたとき,通りかかった白髪の老人に将来皇帝となることを予言されて兵を志願したという。このため漢の宮廷は観相士を重用し,人相学は隆盛を極めて仙家と呼ばれた。前漢の許負,後漢の郭林宗,管輅(かんらく)などが有名で,とくに許負の《人倫識鑑》は目,鼻,口などの部分の相を確定した。また《三国志》魏書がその神技を伝える管輅には,少年顔超の夭逝を観相したばかりか,北斗星と南斗星にとりいって延命をはかる方策まで教えた話が《捜神記》にある。その後,晋の時代にも相術は発展し続けたが,門外不出の仙術だった。南北朝時代には,梁の武帝のときインドから達磨(だるま)が来て仏教を伝えたが,相術が示す現世の運勢を重視する風潮には争いがたく,禅宗の始祖も9年間面壁の修業を余儀なくされた。この間に達磨は相術も研究し,後に仏教を広める際の手段としてこれを用いた。達磨相法と言われるもので,その用語も仏教的であり,仙家が目を〈神〉または〈竜宮〉と呼ぶのに対し,〈精舎(しようじや)〉または〈光殿〉と称したりしている。

 その後隋,唐,五代十国の時代になっても相術は衰えることなく,呂洞賓(りよとうひん),一行(いちぎよう)禅師,麻の衣に身を包むを常とした麻衣(まい)仙人,後周の世宗の師であった王朴などが出た。さらに麻衣仙人の弟子で宋の太宗から希夷と賜号された陳摶(ちんたん)は長く秘伝とされていた相法を公表し,他の仙家や仏家もこれに倣ったので,宋代にはこれらをまとめた《神相篇》が出た。この書によって相術を究める者は後を絶たず,その中には,元の世祖(フビライ・ハーン)が日本を襲った際に師としてこれをいさめたと伝えられる碧眼道者らがいる。さらに明代に入っては,袁洪(えんこう),袁忠徹父子が《神相全篇》を編み,中国人相学を集大成した。

日本にも古来,鹿の肩甲骨を焼いてその割れ目から占う太占(ふとまに)の術があり,これを行う占部一族もいたが,相術の本流となった始まりは遣隋使,遣唐使が持ちこんだ達磨相法である。聖徳太子も仏画と関連して人相に興味を寄せ,崇峻天皇の相を観たとされ,ほかに天武天皇を観相した鈴鹿翁,藤原鎌足,三善清行などがいる。平安時代に眉を落として黛(まゆずみ)で額に高く描いたのも,当時の相法が眉の高いのを高貴の相としたためといわれる。相法は仏教とのかかわりが深く,戦国時代にはもっぱら僧侶の業(わざ)となり,室町時代には叡山の天山阿闍梨(あじやり)による《先天相法》が出た。一方,室町末期の《塵塚物語》によれば,源義経が鞍馬山の天狗から相伝されたという《兵法口舌気(ひようほうくぜつき)》の中に人相術も含まれている。江戸時代になると《神相全篇》なども輸入されて広く読まれ,禄を失った武士の中から人相見を職業とする者が出てきた。江戸中期には水野南北,鶴塞翁らが観相家として名をなし,とくに水野南北は髪結床,風呂屋,隠亡(おんぼう)を務めて人相を研究し,《南北相法》を著して観相家に益した。また石竜子相栄の校注による《神相全篇正義》が出て原著を平易化し,今も観相家の座右にある。

 明治から大正にかけて欧米の人相学が輸入されて以後は,従来の観相術がさまざまに変更改訂され,先祖より子孫に至る縦体と個人を社会的関係の中にとらえる横体の人相学となったが,気質や性格ばかりでなく,過去から未来までの運勢を占うという基本的性格は変化しておらず,依然として予言の学である。
 →手相学
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百科事典マイペディア 「人相学」の意味・わかりやすい解説

人相学【にんそうがく】

人の体型・動作,特に顔面の特徴から,その性格,能力,運勢などを判断する方法。〈観相学〉とも。古代中国で疾病診断の一方法として用いられ,のち運勢判断の面が分化し,明代に《神相全編》として集大成された。日本では江戸初期に伝えられ,水野南北〔1757-1834〕らが普及させた。英語ではphysiognomyといい,西洋にも長い伝統がある。動物との類推と占星術を用いるのが特徴で,偽アリトテレス,G.B.della ポルタ,ラーファターらの著作が有名。→手相骨相学

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世界大百科事典(旧版)内の人相学の言及

【占い】より

… そして,ルネサンスを迎えて,占星術をはじめとするさまざまな占いが再び盛行しはじめる。ドイツの皇帝ルドルフ2世も,ケプラーの師であるブラーエに自分のホロスコープを作成させているが,当時は,人体の各部分(ミクロコスモス)と天体の配置(マクロコスモス)との間に著しい照応が見られるとして,特に占星術と結びついた手相学人相学などが流行したのである。そうした傾向は近世に入ってさらに促進され,多くの予言者,占星術師,神秘家が登場するが,なかでも16世紀にシャルル9世の侍医をつとめたノストラダムスは有名である。…

【顔】より

…彼は続けて,大きな額の人は無精,小さな額は気まぐれ,広い額は興奮しやすく,おでこは短気であると述べる。彼の著とされるが実は後代の作である《人相学》は,顔貌と牛・獅子・犬・猫などの動物と比べながら性格を論じている。キケロ《トゥスクルム論叢》に,ゾピュロスがソクラテスの顔に数々の悪徳を見,他のだれもソクラテスにこれを認めず嘲笑したが,ソクラテスはゾピュロスの言を認め,それら悪徳は生来自分にあったが理性で遠ざけたと言ったという話がある。…

【黒子】より

…もっとも,ほくろは黒子に限らず入墨(文身,刺青)のことにもなり,〈俗人身にいれふぐろする事,すまじき事なり〉(徳川光圀《西山公随筆》),〈入ぼくろ大きなるハ珍らしかりけるに横筋かひに肩より南無阿弥陀仏と大文字に彫付たり〉(喜多村節信《嬉遊笑覧》),〈入墨痣 いれほくろ京阪にて謂之黥(げい)也黥いれずみと云〉(喜田川守貞《守貞漫稿》)などの記述がみえる。 滓と同様にみたくらいだから,日本の人相学では一般にほくろを良く扱わない。たとえば江戸時代の観相家水野南北は,印堂(眉間)にほくろがあると物事が成就せず不運,兄弟(けいてい)(眉)にあれば身内との縁が薄く,男女(なんによ)(下眼瞼)にあれば子どもとの縁が薄く,交友(眉の上)にあれば友人関係が悪く,家続にあれば親の遺産をつぶすなど,顔の18穴,10穴にあるほくろのすべてに悪い運勢を結びつけている(《南北相法》)。…

【ラーファター】より

…スイスの牧師。シュトゥルム・ウント・ドラング運動の著述家,詩人として早くから名を知られたが,若きゲーテの協力を得て結実した観(人)相学研究は全欧に一大センセーションを巻きおこした。スウェーデンボリの心身対応論を基礎とし,膨大なデータをもとに人間の容貌からその内面の性情を科学的実証的に解明せんとした彼の観相学の中核には,隣人愛というキリスト教理念と,原罪によりそこなわれた〈神の似姿〉としての人間性の再生という終末論的救済観がある。…

※「人相学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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