今宮祭(読み)いまみやまつり

精選版 日本国語大辞典 「今宮祭」の意味・読み・例文・類語

いまみや‐まつり【今宮祭】

〘名〙 今宮神社の祭。特に、京都市紫野にある今宮神社の祭礼は、五月七日から一五日にかけて行なわれ、近世以降、神輿とともに立てる各町内の「十二鉾(ほこ)」が有名。《季・夏》
康富記‐応永八年(1401)五月九日「今日紫野今宮祭也」

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改訂新版 世界大百科事典 「今宮祭」の意味・わかりやすい解説

今宮祭 (いまみやまつり)

京都市北区に鎮座する今宮神社の祭礼。994年(正暦5)国中疫病が流行したため,船岡山疫神を安置して御霊会(ごりようえ)を営み,その後紫野に神殿を建立し,毎年旧暦5月9日に幣帛を奉り,これを今宮祭と称した。しかし,現在は今宮神社境内の疫(えき)神社の祭礼である,やすらい祭のほうがよく知られている。やすらい花祭ともいい,古くは旧暦3月10日,現在は4月第2日曜日に行われる。1154年(久寿1)4月,京中の子女が風流(ふりゆう)の装いをし鼓笛を鳴らして詣でたのがその起源とされている。田遊・田楽に関係が深く,芸能史の上からも重要で,疫神を鎮める鎮花祭とする説,稲の花の散るのをとどめる意であるとする説などがある。祭日の午後,鉾,花傘を持ち,古風な装束の装いをこらした京中の3地区の練り衆が,〈やすらい花や〉と歌い踊りながら,今宮神社の本社と疫神社を練り回り,帰途各地区の家々を巡って決められた宿に帰る。京都における民間の珍しい古式行事である。当日,神社では御幣に桜とツバキをさし,赤飯で作った餅とともに供える。また祭りの翌日には各地区の練り衆が宿に集まり,白みそに白豆と塩ブリを入れた鬼汁を食べる行事が行われていたが,現在は行われなくなったようである。この祭りは平安時代以降,民衆の熱狂的信仰をえて盛大となったが,そのために為政者側が祭礼の禁止を命じたこともある。中世後期,応仁の乱以降,久しく中絶していたが,江戸時代に入り1694年(元禄7)に5代将軍徳川綱吉の母桂昌院が社殿造営とともに祭礼も復興したと伝えられている。
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世界大百科事典(旧版)内の今宮祭の言及

【鎮花祭】より

…俗に〈薬まつり〉ともいわれる。また,このまつりは上記2神社のみでなく,多くの神社で行われたが,いまでも京都市北区の今宮(いまみや)神社境内社である疫神社の今宮祭は,〈やすらい祭〉の名で行われている。これは疫神を追送する行事が風流(ふりゆう)化したものである。…

【民俗芸能】より

…その代表は京都八坂神社の祇園御霊会(ぎおんごりようえ)で,夏季に発生する疫病や水害,干ばつなどの災害は,怨み(うらみ)をのんで横死した人々の亡魂のたたりだと考え,それを御霊とあがめて華麗な山車と鉦や太鼓などの強烈な囃子の行列で慰撫鎮送しようとした(御霊会)。晩春には,桜花の散るのを疫神飛散の兆しとみて,華美な扮装の子女が鼓笛を奏して紫野(京都市)の今宮神社へ道中したのも同じ民俗で(今宮祭),平安朝以後,疫神,亡魂鎮送のために風流を飾り立てた一行が囃子を奏し,はなやかな踊りを見せたりする風俗が各地で見られるようになった。念仏踊も,もとは解脱(げだつ)を求める人々が国中に念仏を唱えつつ共に跳躍する形のものだったが,亡魂を慰撫するには念仏が何よりとの考えから,災害除けにこれを踊り,また盆供養にも念仏踊を手向けるようになった。…

※「今宮祭」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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