今帰仁(読み)なきじん

改訂新版 世界大百科事典 「今帰仁」の意味・わかりやすい解説

今帰仁[村] (なきじん)

沖縄県国頭(くにがみ)郡の村。本部(もとぶ)半島北東部と東の古宇利(こうり)島(面積2.95km2)よりなる。人口9257(2010)。北と東は東シナ海に面し,南は名護市で,半島部の南側は乙羽(おつぱ)岳から西に丘陵がのび,海岸沿いに平地が広がる。古宇利島海岸段丘が発達する。14世紀から15世紀の三山(さんざん)時代には北山(ほくざん)王統が今帰仁城(北山城)にあって沖縄島北部を支配し,当地はその中心地であった。北東部の運天(うんてん)港は北東に古宇利島,南東に屋我地(やがじ)島がある天然の良港で,源為朝が渡来したとの伝説もあり,薩摩琉球征服時にも薩摩軍が第一歩を印した。第2次世界大戦中は海軍基地があり,現在は貿易港として1万トン級岸壁や近代設備が整っている。主産業は農業でサトウキビを主にし,花卉,野菜,パイナップルを栽培し,肉用牛,豚などの畜産の複合経営も行われている。

 北西部の標高80~100mにある今帰仁城跡は西から東へ高くなり,連郭式の城である。北山王統は今帰仁按司(あじ)に始まるが,最後の攀安知(はんあんち)が中山(ちゆうざん)の尚巴志に滅ぼされたのは1416年ないし22年といわれる。尚巴志は第二子尚忠を今帰仁城に派して北山(国頭郡)を監守させ,以後第二尚氏の1665年まで北山監守が派遣されていた。また沖縄中の門中によって行われる〈今帰仁上り(ぬぶい)〉は祖先精霊に対する信仰の祭祀行事で,今帰仁城跡周辺の拝所,旧跡などを回って拝む。なお諸志(しよし)御嶽植物群落(天)は,神域として古くから保護された御嶽林3万m2アカギムクロジ,リュウキュウガキ,リュウキュウテイカズラ,ホザキカナワラビ,アリモリソウなど167種が知られ,琉球石灰岩地域の植物相を知るうえで貴重である。古宇利島には人類発祥伝説があり,また旧暦7月の盆あけ亥の日に行われる海神(うんじやみ)祭も知られる。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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