今須宿(読み)いますしゆく

日本歴史地名大系 「今須宿」の解説

今須宿
いますしゆく

[現在地名]関ヶ原町今須

中山道六七宿の一で江戸より六〇番目、美濃最西端の宿場。東の関ヶ原宿、西の柏原かしわばら宿(現滋賀県坂田郡山東町)まではいずれも一里の路程。関ヶ原宿との間にある今須峠は難所で、天文年間(一五三二―五五)には関所が置かれたという。当宿が整備されたのは中山道に宿駅伝馬制がしかれた慶長七年(一六〇二)以降と考えられるが、同一八年の申状写(天保三年「証文願書留」奥田文書)には「います町中」とあり、すでに町場化していたことが知られる。元禄一五年(一七〇二)の宿書上(関ヶ原町歴史民俗資料館蔵)によれば、宿高一千八八五石余、町数東西一七町一〇間、家数三六三のうち町家一八四・枝村一七九。同年の御用人足は御朱印人足二五〇・賃人足五千六四一のほか、北国脇道の雪踏み人足八五〇などだが、このうち宿人足は五千七八六、助郷人足一千四一三、雇人足三一二、御用馬は御朱印伝馬四五、駄賃馬一万六千四三二で、うち宿馬一万四千三二九、助馬一千九三〇、雇馬一七三。また役家も書上げられ、問屋・年寄役共六軒、庄屋・年寄役共三軒、年寄・肝煎一〇軒、宿諸入用横目・帳付三軒、旅人泊り帳付二軒などのほか、歩役・馬役二五五軒があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の今須宿の言及

【今須】より

…美濃国(岐阜県)不破郡の地名。中世には今須(居益)郷,近世には今須村,中山道今須宿,現在は関ヶ原町の大字。室町時代長江氏がこの地に勢力を有し,重景が母の菩提のため妙応寺を建て,1442年(嘉吉2)元景らが仏田を寄進している。…

※「今須宿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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