仕立屋(読み)したてや

精選版 日本国語大辞典 「仕立屋」の意味・読み・例文・類語

したて‐や【仕立屋】

〘名〙 衣服の仕立てを職業とする家。また、その人。仕立物屋
浮世草子好色一代女(1686)四「柱に此奥に万(よろづ)物ぬひ仕立(シタテ)屋と張札をして」

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デジタル大辞泉 「仕立屋」の意味・読み・例文・類語

したて‐や【仕立屋】

衣服の仕立てを職業とする人。また、その店。
[類語]裁縫師縫い子針子

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改訂新版 世界大百科事典 「仕立屋」の意味・わかりやすい解説

仕立屋 (したてや)

衣服を裁縫し,または縫い直し,継ぎはぎなどの修理をする職人。仕立物師,仕立物屋ともいった。

15世紀後半から京都には内職として賃仕事をする公家の女性や禅宗の尼僧なども現れ,《梵舜日記》慶長2年(1597)11月条には〈針賃女房〉という語が見える。17世紀には専業者が生まれ,男性も従事するようになった。小袖の仕立屋のほかに羽織師,袴(はかま)師といった専門職人も生まれたが,年代が下るにしたがって区別がなくなり,仕立屋の呼称にまとめられていった。ただし,特殊なものとして僧侶の法衣を専門に作る仕立屋があり,これは古くから衣師(ころもし),法衣屋(ころもや)として独立の業種になっている。《守貞漫稿》によると,19世紀前半の上方には縫物屋とも呼んだ縫物師匠がいて,少女たちに裁縫を教えていたが,江戸にはこうした師匠はなく,家庭で母や姉が教え,しかも上方よりも上手のものが多かったというが,明治以後は東京にもそうした師匠があり,嫁入り前の娘たちが通ったものである。仕立屋には数人の内弟子をもつものから,大勢の徒弟や職人をかかえて大きな呉服屋に専属し,その縫製工場の役割をはたすようなものもあった。技術は女性よりも男性のほうが上手であったという。近代になって洋服が普及すると,洋服の仕立職人が別に生まれ,〈舶来仕立屋〉と呼ばれたこともある。
執筆者:

一般に男子服を扱うものをテーラーtailor,婦人服を扱うものをドレスメーカーdressmakerという。今日では,服飾デザイナー(フランス語ではクチュリエcouturier)の職種が現れ,デザイン,縫製,販売を行う服飾専門店が普及している。

 西欧では,原始時代から近代にいたるまで,家族の衣服は,おもに妻や娘など女性によって仕立てられたが,特殊な形の,複雑な技術を要する衣服は専門職人にゆだねられた。古代ローマ人のトガは,トガ職人が作った。12世紀のイギリスにはすでに仕立職人が現れ,タイユールtailleur(〈裁断工〉を意味する中世英語)と呼ばれていた。タイユールは13世紀から衣服仕立職人を指すようになり,16世紀にはtailorと表現されるようになった。仕立屋は当時,頻繁に出されていた奢侈(しやし)禁止令に従って,注文主の身分に応じて衣服を仕立てなければならなかった。詰物をして大きくふくらませた服装が流行した16世紀には,仕立屋は仕事場を拡張しなければならなかったといわれる。ヘンリー8世は,シルク・ウーマンsilk womanと呼ばれる女性の仕立職人を置いていた。シルク・ウーマンは15世紀から19世紀半ばころまで見られ,絹織物の製造販売と仕立てを行っていた。テーラーは徒弟時代を経て独立したが,地方を巡業し注文をとりながら働く渡り職人ジャーニー・マンjourney manもいた。17世紀にマンチュアと呼ばれる女性用ガウンが流行すると,ドレスメーカーの前身マンチュア・メーカーmantua makerと呼ばれる女性の仕立職人が,テーラーから分化し,女性用ガウン,ペティコート,下着などを仕立てた。テーラーは男子服,女性用コルセット乗馬服,宮廷用ローブなどを仕立てた。18世紀後半,マンチュアの流行がすたれると,マンチュア・メーカーがドレスメーカーと呼ばれるようになった。19世紀半ばに産業革命の影響を受けて繊維産業が活発化すると,仕立屋の職種もコルセット・メーカー,シャツ・メーカー,ミリナリーmillinery(婦人帽の仕立て・販売,アクセサリー類の販売など),ドレスメーカーなどに分かれた。織物業などでは機械化がすすんだとはいえ,衣服の裁断・縫製はまだ人間の手労働にゆだねられ,これらの仕立屋では修業年間2年から15年の針子たちが安い賃金と劣悪な環境の中で働いていた。一方,既製服産業は,ミシン型紙の発明によってしだいに発達しはじめた。

 フランスでは,19世紀半ばにローズ・ベルタンや,C.F.ワースがパリに店を開き,高級注文服を仕立てるオート・クチュールが生まれた。今日では既製服産業の隆盛に伴い,仕立専門の業種は少なくなったが,服飾専門店が既製服とともに注文服の仕立てをも行うようになっている。
執筆者:

衣服の仕立てや改造補修を行う店を,中国では成衣局または縫紉社といい,このような職業が出現したのは宋代ころからである。唐代以前には官用品を縫製するための官営の機関はあったが,民間の仕立屋はなかった。西アジアのイスラム帝国時代には,布地の売買を業とする織物商が仕立屋を兼ね,また仕立てや補修を専業とする業者が存在したが,これらのイスラム商人の往来がはげしくなるにつれて,宋代の中国都市にも仕立屋が出現するようになった。また,宋代の尼僧たちが内職に仕立てを行い,露店で販売した記録が《東京夢華録》に見える。いずれにしても,仕立屋の発生は商工業の細分化を促進させた近世都市の発達に伴うものであり,元代以降明・清代にかけて,しだいに発展していった。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「仕立屋」の意味・わかりやすい解説

仕立屋
したてや

衣服の裁ち縫い、縫直(ぬいなお)し、継ぎはぎなどの修理をする職人。仕立物師、仕立物屋ともいった。15世紀後半、京都では尼僧や公家(くげ)の子女が注文により仕立ての賃仕事を受けていた。近世(17世紀)に入ると専業者が生まれ、男性もするようになった。居職(いじょく)で、女性・男性とも親方1人が、何人かの内弟子、助(すけ)職人を抱えていた。個人経営のほかに、大きな呉服(ごふく)屋の下職となるものもできた。19世紀後半の近代からは、和服の仕立ては少なくなったが、呉服屋や呉服問屋の下職は注文品だけでなく既製品も仕立てた。第二次世界大戦後は和服仕立職人とよばれるようになった。厚生労働省の国家試験に合格して和裁技能士となればプロとして有利に仕立ての営業ができる。

[遠藤元男]


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