代田法(読み)だいでんほう(英語表記)Dài tián fǎ

改訂新版 世界大百科事典 「代田法」の意味・わかりやすい解説

代田法 (だいでんほう)
Dài tián fǎ

中国,前漢武帝末年,捜粟都尉趙過が普及させた農法。華北とくに河東,弘農,三輔の地,および居延その他の辺境が対象となった。その内容は,戸1頃(1頃は4.5ha)を基準にした5戸に政府で製作した犂をもって耕作させる方法。犂は2本の犂先を持ち,2牛3人で作業する大型のもので,この犂で田に1尺間隔に深さ1尺,幅1尺の甽(みぞ)と,幅1尺,高さ1尺の畝(うね)を交互に作り,甽中に播種し苗が3葉を出すころから苗の生長に従って畝の土を甽に落としてゆく。そうすれば夏には畝と甽の差がなくなり,根が自然と深くなり風や日照りに耐えるという農法で,播種溝を作って播種するだけのものに比較して20~50%の増収があったという。代田法と呼ばれるのは当年度畝の個所は翌年甽を作り,翌々年はまたもとに戻って畝を作るというように,毎年甽と畝の場所が交替するからである。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「代田法」の意味・わかりやすい解説

代田法
だいでんほう

中国、前漢の武帝(在位前141~前87)の末年、捜粟都尉(そうぞくとい)の趙過(ちょうか)が改良した新農法。その方法は、広さ6尺(1尺=23センチメートル)、長さ240歩(1歩=6尺)の耕地(畝)に、広さ・深さともに1尺、長さ240歩の甽(みぞ)を1尺置きに3本つくり、播種(はしゅ)栽培するものであるが、この甽とその間にできる1尺幅の壟(うね)とを毎年交代させて耕作するところに代田法の名は由来する。この方法は「后稷(こうしょく)の古法」といわれ、従来は耜(ふみすき)によって耕作したのであるが、趙過がそれを2牛3人の基本的労働組織による本格的な牛犂(ぎゅうり)農法に改良したものである。

[渡辺信一郎]

『西嶋定生著『中国経済史研究』(1966・東京大学出版会)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「代田法」の意味・わかりやすい解説

代田法
だいでんほう
Dai-t`ien

中国,前漢の武帝時代に趙過が考案した農法。幅1歩 (6尺,1尺は約 23cm) ,長さ 240歩の帯状の耕地に,縦に幅1尺,深さ1尺,間隔1尺,長さ 240歩のけん (溝) を3本造って,そこに作物を播種し,翌年は前年のけんとけんとの間 (壟〈ろう〉。うね) をけんとしてけんの位置を交代させる農法。作物が生育するにつれて壟上の雑草を除去し,その土をけん中の苗根に土寄せしたから,除草耐風,耐旱の効果もあり,しかもこのために耕犂 (すき) を考案し,2牛3人による一貫作業を奨励したので,従来の農法よりも1畝あたり1~2石の増収になったという。

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旺文社世界史事典 三訂版 「代田法」の解説

代田法
だいでんほう

前漢の武帝の末年,趙過が考案した農法
従来のばらまき法を改め,一定の間隔に決まった幅の畝と溝とを作って,溝に種子をまき,毎年溝と畝を交代させるのでその名を生じた。2牛3人で操作する犂 (すき) を用い,大いに生産をあげた。この方法は,長安周辺や西北辺境の屯田地区に普及した。

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