企業内労働市場(読み)きぎょうないろうどうしじょう(英語表記)internal labor market

改訂新版 世界大百科事典 「企業内労働市場」の意味・わかりやすい解説

企業内労働市場 (きぎょうないろうどうしじょう)
internal labor market

労働市場は,地域,職種,労働力のタイプ,企業,労働組合などを単位として細分化されていることがある。企業や労働組合のように,組織を単位として形成される労働市場を内部労働市場と呼ぶ。内部労働市場の典型は企業組織を単位としたものであり,これを企業内労働市場という。企業内労働市場の機能は,(1)採用,配置転換昇進,降格,解雇などの企業内労働移動を通じて,職務を企業内に雇われている労働者に配分すること,そして(2)賃金を決定すること,にある。労働市場が内部化される基本的要因は三つある。それは,(1)特定の企業にしか通用しない技能を備えた労働力を,企業が必要とすること,そのために(2)職場で仕事をしながら技能を習得する職場訓練OJT)が不可欠であること,そして(3)雇用の安定性を維持するための雇用慣行が形成されること,である。

企業内労働市場と外部労働市場とは,労働者の入職・離職によって結ばれている。企業内労働市場への雇入れ口に指定された職だけが,企業外の労働者に対して開かれている門戸である。企業内で地位の高い仕事,権限の大きな仕事あるいは給料の高い仕事に空席ができた場合,外部の労働者が直接これを補充することはまれである。企業内の労働者の配置転換や昇進によって,その空席が埋められる。企業外の労働者は,通常,下位の仕事から成る雇入れ口の職につくしかない。企業に特有な技能を,外部労働市場で身につけることができないからである。したがって,企業内では仕事に空席があるにもかかわらず,外部労働市場では失業者が滞留するという現象が併存しうる。そのため,労働市場全体としては,労働力資源の効率よい配分が達成されない場合がある。

企業が雇入れ口の職のみを外部労働市場の労働者で埋め,それより上位の職については企業内の労働者で充足することの基本的理由は,それが企業にとって安上がりな方法だからである。すなわち,外部労働市場を利用して労働力を補充するよりも,企業内労働市場を利用するほうが,雇用に付随してかかる取引費用transaction costが少なくてすむからである。ここで外部労働市場を利用する場合に要する取引費用とは,労働力に対する適切な価格を見いだすためにかかる費用をいう。それは,労働力の取引価格そのものを発見するための費用,労働力の質を見極めるための費用,労働力の貢献度を測るための費用,そして雇主と働き手との間で取引価格が折り合うための費用,などを含む。企業内労働市場を利用する場合のコスト(取引費用)には,次の要素が含まれる。取引主体を出合わせ,賃金や労働力の質を含めた取引条件に関する情報を入手したり伝えたりするための費用,雇用契約を締結する費用,雇用契約が守られているかどうか監視する費用など。これらに加えて,外部労働市場にせよ内部労働市場にせよ,採用費,訓練費がかかる。

企業に特有な技能を付与するために企業内教育・訓練を労働者に施すということは,特殊訓練specific trainingに投資をすることである。この訓練費用を回収するために,企業は労働者が企業に定着するような施策をとる。雇用が安定し長期化することは,労働者にとっても望ましい。みずからの職業生涯(将来設計)を,より確実な情報に基づいて設計できるからである。このように,訓練投資を契機として雇用期間が長期化する。企業側の雇用政策や,雇用の安定性を守る雇用慣行は,外部労働市場の短期的な変動に対して速やかに反応しづらい性格をもっている。そのため,企業内労働市場は,外部労働市場を利用するコストを節約するために生まれたにもかかわらず,外部労働市場の需給動向が変化し,外部労働市場を利用するほうがより少ない取引費用ですむようになった後でもなお,安定的な雇用を確保するためにつくられた雇用慣行や取決め,ルールによって,そのまま維持されつづける可能性が強い。雇用慣行の典型は,日本では終身雇用制であり,アメリカでは先任権制度である。雇用慣行を変更するためにかかるコストが,これをそのまま維持するコストよりも大きければ,雇用慣行は職場に定着しつづけるであろう。したがって,少なくとも短期的には,雇用慣行や取決めといった非経済的要因が企業内労働市場を規定する。

 外部労働市場では,市場の価格機構によって雇用量と賃金が決定される。労働市場が細分化されるとしても,新古典派の労働市場論が説くように労働力の質や地域の違いにより決定される。これに対して,企業内労働市場では,企業に特有な技能を備えた労働者に対する需要と供給のバランスばかりでなく,企業の雇用政策や労使間でつちかわれてきた雇用慣行などの制度的な諸規則により,市場の機能がはたされる。そして労働市場は,企業や事業所,職場あるいは企業系列など,管理上の組織を単位として細分化される。このように伝統的労働市場論では,企業を労働者が自由に出入りできる質量のない点としかみていなかった。これを企業内労働市場論では,外部労働市場とは隔絶し構造をもつ組織体として位置づけた。そして労働市場を研究する際に,企業組織を分析の次元に据えた構造的視点が重要であることを明らかにした。

企業内労働市場は,ある組織内での労働移動によって結ばれた職種群job clusterから成る。仕事をしながらの職場訓練(OJT)を最も効率よく実施するために,企業は,労働者が技能階梯を徐々に昇るように訓練プログラムを組み,ジョブ・ローテーションによって技能上密接に関連した職種を経験するように計画する。したがって,企業内労働移動によっていくつかの職種が結びつけられ,職種群が形成される。職種群が技能序列の高低差の小さい職種から成る場合,企業内労働市場の構造はフラットである。逆にその高低差が大きい場合,企業内労働市場は高度に構造化されている。企業内労働市場と外部労働市場の関係は,内部のあらゆる職が外部に開かれている場合を一方の極とすれば,最下位の職だけが雇入れ口として外部に開かれていて,上位の職はすべて内部労働力によってまかなわれる場合をもう一方の極とする。前者は構造のない場合であるから,あえて企業内労働市場と呼ぶ必要はない。現実の労働市場は,この二つを両極としたどこかに位置するであろう。企業内労働市場が外部労働市場とどの程度隔絶するかは,どのレベルの種が雇入れ口に指定されるか,どれほどの雇用機会が外部に開かれるかに依存する。そして,雇入れ口の職の量と質とは,企業に特有な技能を規定する生産技術,OJTに対するニーズを規定する企業規模の成長率,内部労働力の離職動向,労働市場の組織状況,などによって規定される。

 企業内労働市場に在る労働者と外部労働市場に在る労働者が,直接,競争をすることはない。彼らは異質な労働力だからである。これは,労働市場に非競争集団が存在するということを意味する。企業内労働市場が,個々の雇主にとっては雇用にともなう取引費用を極小にする機構ではあっても,労働市場全体としてみると必ずしも人的資源の完全雇用を保証するものではない。また,個々の企業内労働市場ごとに決定される賃金が,異なる企業で働く類似の質の労働力に関して同一になるという保証もない。企業組織を単位とした分散的労働市場が存在することになるからである。

 企業内労働市場の例は,日本の大企業にみられる。ただし大企業に限らず,中小企業においても内部化が進行しているといわれている。また,アメリカ,イギリスにおいても存在する。さらに先進国に限らず,東南アジアの発展途上国や中進国においても観察される。このように,企業内労働市場が形成されているという事実は,企業内労働市場が外部労働市場の機能を補うというメリットを,企業と労働者の双方が認識していることを反映している。
労働市場
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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