伊勢別街道(読み)いせべつかいどう

日本歴史地名大系 「伊勢別街道」の解説

伊勢別街道
いせべつかいどう

東海道せき宿(現鈴鹿郡関町)の東の追分鳥居から東南に延び、津城下北方の江戸橋西詰で伊勢参宮街道に合流する延長五里半の街道。京と伊勢神宮を結ぶ古道は、関の追分で東海道より分れて楠原くすわら(現安芸郡芸濃町)を通り、椋本むくもと(現同町)の辺りから安濃あのう川に沿って南下し、海岸へ出るルートがとられていた。それが室町時代に入ると、安濃川徒渉を避けるためか、椋本から豊久野とよくの(現津市)松林を通過する道が選ばれるようになる。

応永二五年(一四一八)の将軍足利義持の参宮に随従した花山院長親は「耕雲紀行」に、坂下さかのした(現関町)を通り詠歌のあと、「とよく野二里はかり行はてゝ、くほたといふ里もすきて、うらちかくなる程、日やうやうかたふく。へたのはまのあたりいとみところあり」と記し、この夜、安濃津あのつ念仏の道場に泊まったと記している。同三一年一二月の義持の参宮も、永享五年(一四三三)三月の足利義教の参宮もこのルートによっており、永享五年度を記した連歌師尭孝の「伊勢紀行」には、参宮からの帰路安濃津に宿泊したのち「しらつかの松をみやりて」と詞書を付けた和歌を詠み、豊久野に向かっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の伊勢別街道の言及

【伊勢路】より

…四日市の追分で東海道から分岐し,神戸,白子,上野,津,松坂,小俣などを経て山田に至った。このほか東海道の関から津までを伊勢別街道と呼んだ。伊勢街道はとくに江戸時代伊勢参宮客でにぎわい,宿々には遊郭が繁盛した。…

※「伊勢別街道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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