伊勢町(読み)いせちょう

精選版 日本国語大辞典 「伊勢町」の意味・読み・例文・類語

いせ‐ちょう ‥チャウ【伊勢町】

[1] 東京都中央区日本橋室町、本町付近の旧称。北条氏村が小田原落城の後江戸に出て、姓を伊勢と改め、その子善次郎が名主となったため町名とした。いせまち。
[2] 〘名〙 (一)に米問屋が多かったことから、江戸の町家で、飯のこと。

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日本歴史地名大系 「伊勢町」の解説

伊勢町
いせまち

[現在地名]中之条町伊勢町

中之条町の東にあり、吾妻川北岸にあたる。古代の吾妻郡伊参いさま(和名抄)の地とされる。古くは同町と一村で、戦国期以来、沼田城と信州上田うえだ(現長野県上田市)を結ぶ要衝の地であり、また利根とね・吾妻支配のうえでも重要な地点であった。寛永九年(一六三二)中之条新町の一部が王子原おうじばらに移転し、残りの村がもと(本)宿とよばれた。承応元年(一六五二)中之条元宿を上原に引地して伊勢町となった(「伊勢町覚書」木暮文書ほか)。万治二年(一六五九)の沼田藩領分書上写に伊勢町村とみえ高二一五石余。寛文郷帳では田方四七石余(旱損)・畑方一七一石余。寛文三年(一六六三)の沼田藩領新検地控では九八六石余。

伊勢町
いせちよう

[現在地名]中央区日本橋本町にほんばしほんちよう一―二丁目

瀬戸物せともの町の東、伊勢町堀に沿う片側町。西は本小田原ほんおだわら町二丁目・安針あんじん町二丁目、南は本船ほんふな町。北は伊勢町堀、東は堀沿いの蔵地になっており、東は堀を挟んで小舟こぶな町一―二丁目。伊勢町堀には小舟町二丁目へ渡る中之なかの橋と、本町四丁目・大伝馬おおでんま町一丁目間の大横丁へ渡る道浄どうじよう橋がある。安永三年小間附町鑑によれば京間一八九間二尺七寸五分の公役金を負担。名主は草創名主馬込勘解由(宝暦七年万世町鑑など)。日本橋区域のほぼ中央に位置する江戸物流の中心地で、伊勢町堀北部の河岸は伊勢町河岸あるいはしお河岸、南部西岸の河岸はこめ河岸あるいは伊勢町裏いせちよううら河岸とよばれた(御府内備考)

伊勢町
いせまち

[現在地名]上越市南本みなみほん町一丁目

城下の南端、北国街道(信州街道)の南口に位置する両側町。正徳年間(一七一一―一六)の高田町各町記録(榊原家文書)には「伊勢町と申名由緒不存候」とあるが、高田開府の際の町奉行の一人伊勢守某の竿入に由来するという伝えがある。町の長さおよそ一一二間余(高田市史)。天和期(一六八一―八四)の調によると当町は無役、名主がおり北に続く出雲いずも町をも支配、両町で屋敷数四三(頸城郡誌稿)

伊勢町
いせまち

[現在地名]北区西天満にしてんま三丁目・同五丁目・南扇みなみおうぎ

天満堀てんまほり川左岸の堀川町の北に接続する片側町と、その西側の両側町をいう。堀川筋の町は堀川橋西詰から北は寺町てらまち筋を越え天満郷北辺に至る。西側の町は難波橋なにわばし筋で、南は源蔵げんぞう町から北に二町分延びて天満郷北端となる。明暦元年(一六五五)の大坂三郷町絵図に「いせ町」とみえる。大坂三郷天満組に属し、元禄一三年(一七〇〇)三郷水帳寄帳では屋敷数二四・役数三九役で、うち年寄分・会所分各一役が無役。年寄は俵屋善七。前掲町絵図・「難波鶴」によると、天満堀川に面して大和郡山藩本多中務少輔・本多能登守の蔵屋敷があり、寺町橋西詰の北一画に美作津山藩蔵屋敷がある。

伊勢町
いせまち

[現在地名]中区丸の内まるのうち三丁目

呉服ごふく町筋の東を南北に通じる伊勢町筋の北端に位置。きよう町筋よりすぎの町筋までの二ヵ丁で、南は練屋ねりや町に続く。慶長年間(一五九六―一六一五)清須きよすから移り旧名をとなえた(府城志)。移動の年月などは万治三年(一六六〇)の大火で古帳が焼失したためわからない(金鱗九十九之塵)井戸水は良好、黒土、すぐ下から砂が混じる(市譜)。安永四年(一七七五)一二月、伊勢町に仮住いの料理人と芸子あがりの心中事件が発生。

伊勢町
いせちよう

[現在地名]伊丹市伊丹四―五丁目・同七丁目

伊丹町を構成する二七ヵ町の一つ。みなみ町の南の外城とじよう村・高畑たかはた村を挟んだ伊丹町の飛地で、大坂道を挟んだ両側町。初め無足むそく(文禄伊丹之図・寛文九年伊丹郷町絵図)といい、元禄三年(一六九〇)に伊勢町と改称(有岡古続語)。郷帳などでは石高は伊丹町(村)に含まれているが、文化一二年(一八一五)の免割帳(木村家文書)では高五八石余、高持四七人。会所入用割の間数は三二五間(「正心調法記」武田家文書)。人数は嘉永二年(一八四九)一六八・同三年一六一(「宗旨人別帳」木村家文書)

伊勢町
いせまち

[現在地名]飯山市大字飯山

神明しんめい町ともいう。愛宕あたご町の北に続く谷筋道通りの町で、町内に一里塚の跡がある。東方城山との間は侍屋敷の町へ小路で通ずる。西は山地麓。

神明社の門前を中心としてできた町で、城下町としてはかん町・ほん町・さかな町より後の成立。元禄一一年(一六九八)の飯山城下町屋鋪検地帳(深堀竜吉氏蔵)に町名初見。

飯山の伊勢信仰は天正一四年(一五八六)上杉景勝の飯山城代岩井信能が外宮御師広田勘右衛門尉にあてた書状に「佳例之御初尾百疋分、御使者へ申渡候」(広田文書)とあるのでも知られる。

伊勢町
いせまち

[現在地名]松本市中央ちゆうおう一丁目・二丁目

松本城下町の枝町一〇町の一。ほん町一丁目の角から西に通じる。

信府統記」に「東西ノ町ナリ、長三町五十六間、或ハ三町二拾二間半共、家数九拾五軒、町幅三間半、北側同心町ヘ出ル小路、南側ニ生安寺大門ヘ出ル小路アリ、小橋一ケ所、町番所二ケ所アリ、鍛冶小路 南側ニアリ南ノ方作場ヘ出ル木戸アリ、暮六ツ切リ出入ナシ、浄林寺 北側ニアリ、浄土宗ナリ、寺家四軒アリ、十王堂 北側西入口木戸際ニアリ、此木戸町ヨリ番人ヲ置ク、但シ夜バカリ、神明社 南側ニアリ、伊勢屋七兵衛ト云者ノ裏ナリ、古ハ表ヨリ小路アリシト云フ」とある。

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世界大百科事典(旧版)内の伊勢町の言及

【中之条[町]】より

…町域の大半は山林で,河岸段丘上は開田されているが,山間部ではコンニャク,シイタケの栽培,畜産が行われる。中心集落は胡桃(くるみ)沢を境に西側を中之条,東側を伊勢町と呼ぶ街村型の谷口集落で,近世に吾妻川と四万川の流域を後背地とする市場町として発達した。現在も郡の中心をなすが,人口減少が著しい。…

※「伊勢町」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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