伊川津貝塚(読み)いかわづかいづか

日本歴史地名大系 「伊川津貝塚」の解説

伊川津貝塚
いかわづかいづか

[現在地名]渥美町伊川津 郷中

郷中ごうなか三河湾に北面する台地末端に発達した標高二メートル前後の礫堆上に築かれたアサリハマグリスガイを主とする海水産貝塚。南北六〇メートル・東西一八〇メートルに弧形を描いて広がる。

縄文後期末から晩期にかけての遺跡で、明治三六年(一九〇三)以来一〇回に及ぶ調査が行われて、埋葬人骨一三九体、土器棺一三基が発見された。

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改訂新版 世界大百科事典 「伊川津貝塚」の意味・わかりやすい解説

伊川津貝塚 (いかわづかいづか)

愛知県渥美郡渥美町(現,田原市)大字伊川津字郷中にある縄文時代後・晩期の主鹹貝塚。東西約180m,南北約60mの半円形を呈する。渥美半島の南西部,福江湾に面する標高約2mの浜堤状のレキ堆上に位置し,同じレキ堆上の西約1kmには縄文時代中期の北屋敷貝塚がある。人骨の採集をおもな目的として,1903年以降8次にわたって発掘調査がおこなわれ,総計134体以上の人骨が出土した。頭頂部に石斧様のものによる打撃孔のある人骨や,尺骨に石鏃が射込まれた人骨など事故や抗争を示す資料のほか,食人の風習を思わせる切傷のある人骨が出土している。また,叉状研歯のある人骨は8体と多く,そのうち7体には下顎中・側切歯4本を抜く4I型の抜歯が施されており,縄文時代晩期の婚後居住規制を考えるうえでの重要な資料である。この遺跡から出土した縄文時代後期末の土器は,〈伊川津式〉として,東三河地方の編年基準資料となっている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「伊川津貝塚」の意味・わかりやすい解説

伊川津貝塚
いかわづかいづか

愛知県田原(たはら)市伊川津町にある、縄文時代後期から晩期にかけての大規模な貝塚。三河湾に面した礫堆(れきたい)上に立地し、スガイ、アサリなどの多い主鹹(しゅかん)貝塚である。1922年(大正11)以来鈴木尚(ひさし)をはじめ多くの学者によってたびたび発掘され、100体以上もの人骨が出土し、日本人種論の発達に大きな役割を果たした。またこのなかには食人風習や、叉状研歯(さじょうけんし)を伴う多数の抜歯風習を示す人骨が多く、甕棺(かめかん)もみられ、縄文時代の習俗の研究にも重要な資料を提供した。土偶(どぐう)、耳飾、石刀、石棒、石冠、勾玉(まがたま)や各種の骨角器も出土している。

渡辺 誠]

『久永春男他編『伊川津貝塚』(1972・渥美町教育委員会)』

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