伊東義五郎(読み)いとう・よしごろう

朝日日本歴史人物事典 「伊東義五郎」の解説

伊東義五郎

没年:大正8.2.22(1919)
生年:安政5.5.16(1858.6.26)
明治大正期の海軍軍人松代藩(長野県)藩士伊東賢治の4男。妻満里子はフランス海軍軍人テオドール・フラパースの娘。明治5(1872)年海軍兵学寮に入る。17年仏独両国に派遣されて砲術,水雷を研究し,フランス地中海艦隊旗艦に乗り組み軍事視察を行った。21年フランス水雷学校を卒業して帰国,26年佐世保水雷隊司令となった。日清戦争(1894~95)には西海艦隊参謀長として出征。その後常備艦隊司令官などを経て,日露戦争(1904~05)時は横須賀工廠長。38年中将に進み,40年男爵。44年貴族院議員。のち実業界に転じて大日本石油鉱業社長となった。

(岸本昌也)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「伊東義五郎」の解説

伊東義五郎 いとう-よしごろう

1858-1919 明治-大正時代の軍人,経営者
安政5年5月16日生まれ。明治14年海軍少尉となり,17年フランス,ドイツを視察した。日清(にっしん)戦争時は海相副官。38年中将にすすむ。44年貴族院議員。のち日本鉱業社長。大正8年2月22日死去。62歳。信濃(しなの)(長野県)出身。海軍兵学寮卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android