伊藤一刀斎(読み)イトウイットウサイ

デジタル大辞泉 「伊藤一刀斎」の意味・読み・例文・類語

いとう‐いっとうさい〔‐イツタウサイ〕【伊藤一刀斎】

近世初期の剣客。生国は伊豆のほか諸説がある。名は景久。鐘巻自斎に師事し、のちに一刀流剣法を創始したといわれる。生没年未詳。

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精選版 日本国語大辞典 「伊藤一刀斎」の意味・読み・例文・類語

いとう‐いっとうさい【伊藤一刀斎】

江戸初期の剣客。名は景久。鐘捲自斎(かねまきじさい)に師事し、のち一刀流を創始した。生没年未詳。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「伊藤一刀斎」の意味・わかりやすい解説

伊藤一刀斎
いとういっとうさい

生没年不詳。近世剣術の一大流派である一刀流の祖。名は弥五郎、のち景久(かげひさ)、一刀斎と号した。その伝記は不明なところが多く、通説では姓を伊東とし、生国を伊豆としているが、近江(おうみ)堅田(かたた)(滋賀県大津市)や加賀金沢、さらに越前(えちぜん)敦賀(つるが)などの諸説があり、没地についてもまちまちである。富田(とだ)流三家(山崎、長谷川(はせがわ)、印牧(かねまき))の一、鐘捲自斎(かねまきじさい)(別名、外他通家(とだみちいえ))に従って中条流刀槍(とうそう)の術を学び、その精妙を究めたが、やがて回国修業に出て、天正(てんしょう)年間(1573~92)関東に下って流儀の弘布(こうふ)に努めた。門弟のうち、相州小田原・北条氏の臣、古藤田勘解由左衛門俊直(ことうだかげゆざえもんとしなお)(唯心一刀流の祖)、および上総(かずさ)万喜(まんぎ)氏の臣、神子上典膳(みこがみてんぜん)(のち小野次郎右衛門忠明(ただあき))の両名が傑出し、彼らに払捨刀(ほっしゃとう)、刃引(はびき)、相小太刀(こたち)などの秘伝を授けたという。その後の動静もまったく不明であるが、一説に帰西して敦賀の大谷刑部少輔吉継(よしつぐ)に仕え、関ヶ原の戦いに参加したというが、確証はない。

[渡邉一郎]

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改訂新版 世界大百科事典 「伊藤一刀斎」の意味・わかりやすい解説

伊藤一刀斎 (いとういっとうさい)
生没年:1560?-1653?(永禄3?-承応2?)

一刀流剣術の祖。名は景久。幼名は前原弥五郎。剣豪で知られるが,経歴は不明確である。生国についても伊豆伊東,伊豆の大島,江州堅田,加賀金沢など定説がない。生没年についてもいくつかの説があるが確証はなく,それだけに伝説逸話が多い。一刀斎は我流の剣法であったが,富田流の鐘捲自斎(かねまきじさい)に学び一刀流を創始したといわれ,全国を周遊して真剣勝負をなすこと33回,敵をたおすこと57人と伝えられる。鎌倉八幡宮で無意識のうちに人を切り夢想剣を開悟したとか,愛妾と酒を飲み,蚊帳の中で寝ている間に裏切った愛妾が刀を持ち出し,賊を招き入れ襲われるが,相手の刀を奪って危地を切り抜け仏捨刀(ふしやとう)を編み出したなどの俗説は有名である。弟子の神子上(みこがみ)典膳(小野忠明)と小野善鬼が決闘して,勝った典膳に一刀流の道統を伝え,その後一刀斎の行方はわからない。一刀流とは,万物一より始まり,一刀より万化して一刀に治まり,また一刀より起こる理からであるといわれる。
執筆者:

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朝日日本歴史人物事典 「伊藤一刀斎」の解説

伊藤一刀斎

没年:承応2(1653)
生年:永禄3(1560)
江戸前期の剣術家。一刀流の開祖。生まれは近江国(滋賀県)とも伊豆大島(東京都)ともいわれる。幼名は前原弥五郎。剣客を夢見,14歳のとき伊豆国(静岡県)三島で富田一放と勝負し打ち勝った。このとき三島神社の神主より名刀を与えられ,代々一刀流宗家に伝えられる「瓶割の刀」となった。のち江戸に出て鐘捲自斎の弟子となり,印可を与えられ伊藤一刀斎と名乗った。創案した組太刀は「刃引」「相小太刀」「五十本」「正五点」で,その内容は「当流剣術の要は事也。事を行うは理也」とされ,技術と理論の一致を求めたものであった。改名後も諸国で修行を続け,伊勢桑名の船中で小野善鬼の挑戦を受けてこれを退け,上総国(千葉県)でも挑戦者を打ち破ったが,このときに弟子になった小野忠明に一刀流の2代目を継がせている。<参考文献>石岡久夫『日本の古武術』

(藤堂良明)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「伊藤一刀斎」の解説

伊藤一刀斎 いとう-いっとうさい

?-? 織豊-江戸時代前期の剣術家。
中条(ちゅうじょう)流-富田(とだ)流のながれをくむ鐘捲(かねまき)自斎にまなび,回国修行ののち一刀流を創始。門弟に古藤田勘解由左衛門(ことうだ-かげゆざえもん)俊直,神子上典膳(みこがみ-てんぜん)(小野忠明)。天正(てんしょう)19年(1591)下総(しもうさ)で典膳とわかれたあと消息不明。一説に承応(じょうおう)2年(1653)94歳で死去という。出身地は近江(おうみ),伊豆(いず)など諸説ある。名は景久(かげひさ)。通称は弥五郎。姓は伊東ともかく。

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百科事典マイペディア 「伊藤一刀斎」の意味・わかりやすい解説

伊藤一刀斎【いとういっとうさい】

剣法一刀流の祖。生没年は不詳で,江戸初期に没とも。名は景久,幼名は前原弥五郎。伊豆伊東,伊豆の大島,江州堅田など生地にも諸説ある。鐘巻自斎(かねまきじさい)に学び,のち一刀流を創始,諸国をめぐって技を争うこと33度,1度も敗れなかったと伝えられる。一刀流の極意を弟子の小野忠明に授けた。
→関連項目中条流

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「伊藤一刀斎」の意味・わかりやすい解説

伊藤一刀斎
いとういっとうさい

江戸時代初期の剣の名人。名は景久 (かげひさ) ,伊豆の人。一刀流の祖で鐘巻自斎通宗の門人。小野次郎右衛門忠明の師という,伝説の人。

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世界大百科事典(旧版)内の伊藤一刀斎の言及

【一刀流】より

…剣術の代表的流派。流祖は伊藤一刀斎景久で,戦国末期ころ,富田流の鐘捲自斎(かねまきじさい)に学び創意くふうを加えて創始したという。一刀流は,門弟小野忠明のとき,徳川将軍指南の流儀として柳生新陰流とともに重きをなし,全国的に隆盛であった。…

【小野忠明】より

…上総国(千葉県)出身。24~25歳のころ伊藤一刀斎の弟子となり一刀流の道統を継いだ。1593年(文禄2),見込まれて徳川家康の家人となり,柳生宗矩(むねのり)とともに秀忠の師範となって小野姓に改めた。…

※「伊藤一刀斎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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