伊藤一隆
没年:昭和4.1(1929)
生年:安政6.3(1859)
明治時代の水産功労者。東京生まれ。札幌農学校を卒業後,明治19(1886)年,開拓使御用掛として北米水産事情調査のため渡米。その経験をいかし,千歳鮭鱒孵化場の創設,巾着網の試験操業,鱈漁業の奨励,水産予察調査の実施など北海道漁業の改良,発達に貢献した。明治27年官界を去り,帝国水産会社,越後の石油開発事業でも活躍した。道庁初代水産課課長,北水協会初代会頭。<参考文献>北水協会編『北水協会百年史』,一隆会編『伊藤一隆とつながる人々』
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
伊藤一隆 いとう-かずたか
1859-1929 明治-昭和時代前期の官吏,社会運動家。
安政6年3月13日生まれ。札幌農学校第1期生。開拓使勤務をへて北海道庁初代水産課長となり,サケ・マスの人工孵化(ふか)につくす。明治15年札幌独立基督(キリスト)教会をおこし,禁酒運動を指導。バチェラーのアイヌ救済にも協力した。昭和4年1月5日死去。71歳。江戸出身。本姓は平野。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
世界大百科事典(旧版)内の伊藤一隆の言及
【きんちゃく網(巾着網)】より
…時あたかも沖合操業のできる高能率漁網が求められているときであったから,そのような漁網としてきんちゃく網が着目されたのであった。その技術導入について,関沢に次いで功績があったと思われるのは,北海道の技師伊藤一隆である。彼は1886年水産事情取調べのためアメリカに出張した際,きんちゃく網についても調査をし,88年に復命書で報告し,またきんちゃく網の試作と試験操業を行った。…
※「伊藤一隆」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」