伊藤忠商事(株)(読み)いとうちゅうしょうじ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「伊藤忠商事(株)」の意味・わかりやすい解説

伊藤忠商事(株)
いとうちゅうしょうじ

日本の総合商社。世界63か国に約110以上の拠点をもち、繊維、機械、金属、エネルギー、化学、食料、住生活資材、情報、金融分野で広範なビジネスを展開している。中国最大の国有複合企業CITIC(シティック)(中国中信集団)に出資・提携するなど中国ビジネスに強みをもつ。コンビニエンス・ストアのファミリーマート、青果事業のドール・インターナショナルホールディングス、卸・物流の日本アクセス、食品のプリマハム、外車販売のヤナセ信販オリエントコーポレーション、リースの東京センチュリーなどの事業会社に投資し、子会社化している。旧第一勧業銀行(現、みずほ銀行)を中心とする企業グループ「三金会(さんきんかい)」の中核メンバーである。

 1858年(安政5)近江(おうみ)出身の初代伊藤忠兵衛(1842―1903)が始めた麻布類の卸売業を源流とする。1872年(明治5)に呉服太物(ふともの)商「紅忠(べんちゅう)」を大阪に出店し、1914年(大正3)に伊藤合名会社を設立した。第一次世界大戦期に国内取引が著しく伸びたため、1918年、営業部門を伊藤忠と伊藤忠商店(後の丸紅(まるべに))に分割した。第二次世界大戦時に両社は合併して三興(さんこう)、さらに大建産業となったが、戦後過度経済力集中排除法により伊藤忠商事、丸紅、呉羽(くれは)紡績(のち東洋紡績に吸収)、尼崎製釘(あまがさきせいてい)所(現、アマテイ)の4社に分割され、1949年(昭和24)に伊藤忠商事として再発足した。戦前は多くの紡織会社を傘下にもつ繊維財閥であったが、戦後は高度成長の波に乗り、食料、金属、エネルギー、情報、金融分野に進出し総合商社へ脱皮した。1977年には破綻(はたん)した総合商社の安宅(あたか)産業を吸収合併した。しかしバブル経済期に不動産投資へ傾斜して多額の不良資産を抱え、この処理のため1990年代後半に約6000億円の損失を計上し、希望退職を募るなど経営危機に陥った。ただ、この時期からコンビニなど非資源分野への事業投資を積極的に拡大。海外では中国のCITICだけでなく、タイの企業集団チャロン・ポカパングループとも提携し、中国・アジアでの事業基盤を強化した。東京(港区北青山)と大阪(大阪市北区梅田)の2本社制をとる。資本金2534億4800万円。みずほ銀行を主力取引行としている。連結売上高11兆6004億円、単体従業員4352人(2019)。

[矢野 武 2019年12月13日]

『伊藤忠商事株式会社編・刊『伊藤忠商事100年』(1969)』

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