…発行部数は日清戦争のころの最盛期でも約2万部と推定される。日露戦争後,経営はいっそう悪化し,1906年に陸羯南から伊藤欽亮に譲渡された。伊藤欽亮が紙面通俗化を図ったのに対し,三宅雪嶺,長谷川如是閑らは抗議して退社,雑誌《日本人》に移った。…
※「伊藤欽亮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...
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