伊藤錦里(読み)いとう きんり

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「伊藤錦里」の解説

伊藤錦里 いとう-きんり

1710-1772 江戸時代中期の儒者
宝永7年10月生まれ。伊藤竜洲(りゅうしゅう)の長男。父にまなび,その跡をつぎ元文3年越前(えちぜん)福井藩儒官となる。弟の江村北海,清田儋叟(せいた-たんそう)とともに「伊藤三珠樹」といわれた。明和9年3月9日死去。63歳。名は縉(しん)。字(あざな)は君夏。通称は荘治,宗太郎。別号に鳳陽。著作に「邀翠館(ようすいかん)集」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「伊藤錦里」の解説

伊藤錦里 (いとうきんり)

生年月日:1710年10月30日
江戸時代中期の儒学者;越前福井藩儒
1772年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の伊藤錦里の言及

【江村北海】より

…儒者伊藤竜洲の次男に生まれ,京都の儒家の名門であった江村家の養子となった。兄の伊藤錦里,弟の清田儋叟(せいだたんそう)とともに学者3兄弟として知られる。伊藤家も江村家も家学は朱子学であったが,朱子学を強く宣布するという家風ではなく,北海も養父のあとをついで美濃郡上藩の儒官にはなったが,その活動は儒学よりも漢詩文に傾斜していた。…

※「伊藤錦里」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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