伊賀氏の変(読み)いがしのへん

改訂新版 世界大百科事典 「伊賀氏の変」の意味・わかりやすい解説

伊賀氏の変 (いがしのへん)

1224年(元仁1)鎌倉幕府実権争奪をめぐっておこった執権北条氏の内紛。この年6月執権北条義時の死後,義時の後妻伊賀氏(伊賀守藤原朝光女)は,兄弟の政所執事伊賀光宗とはかり,自分の子の北条政村を執権にし,女婿の藤原実雅(一条能保の子)を将軍に立てて幕府の実権をにぎろうとし,義時の長子泰時を執権にしようとする北条政子と対立した。伊賀氏らは幕府最大の豪族三浦義村を味方にして野心を実現しようとしたが,6月末機先を制して政子は泰時を執権に指名するとともに,翌月義村を説得してしまったため,伊賀氏らの野望はついえた。その結果,閏7月実雅は京都に移され,光宗は政所執事を解任され,ついで伊賀氏は伊豆の北条に,光宗は信濃に,実雅は越前にそれぞれ流されて事件は落着した。この内紛を乗り越えたことによって泰時は幕府の実権をにぎり,執権政治への道を進むこととなった。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android