伊達(読み)だて

精選版 日本国語大辞典 「伊達」の意味・読み・例文・類語

だて【伊達】

〘名〙 (形動)
① 人目をひくような、はでなふるまいをすること。また、意気、侠気をことさらに示そうとするさま。
多胡辰敬家訓(1544頃)「うろんなる人の用に立、だてをし、さぎをからすとあらがひ」
※四座役者目録(1646‐53)上「清五郎の時、ことのほか伊達成る素袍をきる」
② 好みが粋(いき)であること。また、気持がさばけているさま。
※俳諧・信徳十百韻(1675)「内儀まじりに菫つむなり 伊達にこそ裾野ひらしゃら尼衣」
③ 外見を飾ること。見栄を張ること。また、そのさま。
※俳諧・独吟一日千句(1675)第二「伊達をするかくれ笠とてあらはこそ 其蓬莱の嶋原かよひ」
※どちらでも(1970)〈小島信夫〉一「ダテに年をとってはいませんよ」
[補注]「いかにも…らしい様子を見せる、ことさらにそのような様子をする」意の接尾語「だて(立)」が、室町末期ごろより名詞また形容動詞として独立したものか。

だて【伊達】

北海道の南西部の地名。長流(おさる)川流域にあり、内浦湾に臨む。明治三年(一八七〇)仙台藩支藩伊達邦成が入植。水産業・野菜栽培・酪農が盛ん。昭和四七年(一九七二)市制。

だて【伊達】

姓氏の一つ。

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デジタル大辞泉 「伊達」の意味・読み・例文・類語

だて【伊達】

[名・形動]
意気や侠気きょうきをひけらかすこと。また、そのさま。「伊達若い衆」「男伊達
人目を引くはでな服装や振る舞いをすること。見えを張ること。また、そのさま。「伊達や酔狂ではない」
好みがしゃれていること。考え方がさばけていること。また、そのさま。いき。「伊達に着こなす」
「さすが茶人の妻、物好きもよく気も―に」〈浄・鑓の権三
[補説]人目につくようにする意の「立つ」の連用形「立て」からとも、伊達政宗の家来がはでな服装であったからともいう。
[類語]気障平淡いきお洒落小粋おつ洒脱気が利く

だて【伊達】[姓氏]

姓氏の一。
鎌倉から江戸にかけての御家人、大名。藤原北家の流。朝宗の時、源頼朝奥州征伐に従った功により、当時の陸奥むつの伊達郡を与えられ、伊達氏を称したのが始め。のち、政宗のとき東北一の大名となった。伊予の伊達氏は分家。
[補説]「伊達」姓の人物
伊達千広だてちひろ
伊達正男だてまさお
伊達政宗だてまさむね
伊達宗城だてむねなり

だて【伊達】[福島県の市]

福島県北東部、福島盆地東半を占める市。奥州伊達氏発祥の地。モモなど果樹農業が盛ん。平成18年(2006)1月、伊達町・梁川やながわ町・保原ほばら町・霊山りょうぜん町・月舘町が合併して成立。人口6.6万(2010)。
[補説]北海道にも伊達市があり、同名の市はこの両市と広島県府中市東京都府中市との2組だけ。

だて【伊達】[北海道の市]

北海道南西部、内浦湾に面する市。もと中心部は紋鼈もんべつといった。明治初年に伊達支藩の亘理わたり藩の藩主と家臣団が入植し、その旧邸は現在、開拓記念館。野菜栽培が盛ん。平成18年(2006)3月、大滝村を編入。人口3.6万(2010)。
[補説]福島県にも伊達市があり、同名の市はこの両市と広島県府中市東京都府中市との2組だけ。

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改訂新版 世界大百科事典 「伊達」の意味・わかりやすい解説

伊達[市] (だて)

福島県北東部の市。2006年1月伊達,月舘(つきだて),保原(ほばら),梁川(やながわ),霊山(りようぜん)の5町が合体して成立した。人口6万6027(2010)。

伊達市西端の旧町。旧伊達郡所属。人口1万0958(2005)。福島盆地のほぼ中央,福島市の東に接する。町の中央を阿武隈川が北流し,町域の大半が沖積層の肥沃な耕地に恵まれる。江戸時代中ごろより第2次大戦前にかけて蚕種製造,生糸生産の主産地であったが,戦後は果樹園芸に転換し,現在は県下有数の桃,リンゴの産地で,缶詰工場もある。農家1戸当りの経営耕地面積は小さいが,経営の近代化・効率化により農業粗生産額は比較的高く,専業農家率は県内トップクラスにある。JR東北本線が通り,福島市のベッドタウンとしての役割ももつと同時に,国道等交通網の整備により電気関連工場の進出もみられる。

伊達市南部の旧町。旧伊達郡所属。人口4394(2005)。県下でも人口減少の大きい地域である。福島市の東にあり,四方を阿武隈高地の山々に囲まれた盆地性の地形を示す。1806年(文化3)筑後の三池から立花氏が1万石で入封,下手渡(しもてど)藩の藩庁所在地となり,陣屋が設置されたが,戊辰戦争では奥羽越列藩同盟に加わらず,仙台藩の攻撃を受けて焼失した。米作,養蚕を中心とする農業から,米の生産調整を機に果樹,野菜などのハウス園芸が盛んになった。全耕地の2/3が山間地にあり,寒暑の差が大きく晩霜の常襲被災地でもある。また小規模ながら電気機械,メリヤス,カメラ部品などの工場が誘致されている。

伊達市西部の旧町。旧伊達郡所属。人口2万4521(2005)。福島盆地の北東部にあり,南西は福島市に接する。北西端を阿武隈川が北流し,その沿岸から中央部にかけては阿武隈川の旧河道,自然堤防が交錯するはんらん原,低地段丘面が広がり,南部から東部にかけては,阿武隈高地の丘陵地帯となる。低地は水に不足する砂質地のため,支流の広瀬川からの砂子堰(いさごせき),阿武隈川からの東根堰などで灌漑されている。1741年(寛保1)白河藩の陣屋がおかれた。古くから養蚕が盛んで,生糸,真綿の取引の中心地として栄えてきた。第2次大戦後,養蚕に代わって果樹栽培が興隆し,特にモモ,リンゴ,カキが多い。また戦後始められたメリヤス工業は急速な発展をとげて地場産業として定着している。福島市のベッドタウン的役割も持つが,近年人口は安定している。阿武隈急行線が通る。

伊達市北部の旧町。旧伊達郡所属。人口2万0157(2005)。福島盆地北東部にあり,北と東は宮城県に接する。西部より北東流する阿武隈川流域に耕地が広がり,広瀬川の谷口付近に中心集落の梁川がある。東部一帯は阿武隈高地の山間丘陵地帯となっている。中世初期に伊達氏が梁川城を築き,以来,鎌倉・室町時代を通じて南奥州の中心として栄えた。さらに伊達氏が仙台に本拠を移した後も阿武隈川水運の一拠点をなし,伊達地方の中心地として発展した。江戸後期以後,養蚕業が盛んになり,天保年間(1830-44)に田口留兵衛による〈あぶりこ〉(蚕の温暖飼育),中村善右衛門による蚕当計(寒暖計)の発明などで養蚕技術も著しく発達し,昭和の初めまで蚕都と呼ばれるほどであった。第2次大戦後,生糸の需要が低下し,養蚕業も下降線をたどったが,現在はメリヤス工業が発達して隣接する旧保原町とともにニット製品の主産地となっている。また養蚕に代わって果樹や野菜・畜産が近年著しく伸びている。阿武隈急行線が通る。

伊達市中部の旧町。旧伊達郡所属。人口9259(2005)。阿武隈川の支流広瀬川の中流域を占める。阿武隈高地の北端にあたり,霊山(825m)を最高峰に標高300~500mの山々に囲まれる。近世以来養蚕が盛んで,明治になると〈掛田折り返し糸〉の名は全国に知られ,生糸の町としてにぎわったが,近年はキュウリ,イチゴ,ニラ,シイタケが特産である。国道115号,349号線が通じる。
執筆者:

伊達[市] (だて)

北海道南西部の市。2006年3月旧伊達市が大滝(おおたき)村を編入して成立した。壮瞥(そうべつ)町を挟んでの飛び地合併となった。人口3万6278(2010)。

伊達市北東部の旧村。胆振(いぶり)支庁の旧有珠(うす)郡所属。1915年壮瞥村より分村し徳舜瞥村と称していたが,50年大滝村と改めた。人口1843(2005)。火山性山地の間を長流(おさる)川などが河谷を刻み,その段丘上に点在集落が形成されている。村域の大部分は標高300~700mの高冷積雪地に分布する森林で,農用地面積は5%に満たない。1895年以降入植者があったが,1940年日鉄徳舜瞥鉱山の操業が開始され,この年伊達紋別との間の胆振線(現,バス路線)が開通して鉄鉱石を室蘭に送り,この村の重要産業となった。農業は振るわず早くから過疎化が進み,71年の徳舜瞥鉱山の閉山はこれに拍車をかけた。南部の長流川河畔にある北湯沢温泉(硫化水素泉,70~95℃)は支笏洞爺国立公園に含まれ,閑雅な保養地で,リハビリセンターなどの諸施設もある。
執筆者:

伊達市南西部の旧市。1972年市制。人口3万5223(2005)。内浦湾の北岸にあり,冬は積雪が少なく,温暖なため〈北海の湘南〉といわれる。西境に有珠山がそびえ,東は登別市,南は室蘭市に隣接する。古くは伊達紋鼈(もんべつ)と呼ばれた。幕府直轄時代には有珠会所が置かれ,蝦夷三官寺の一つ,有珠の善光寺が建立された。本格的な開発は仙台支藩の亘理(わたり)藩伊達邦成家中により行われ,1870年(明治3)から81年までに約2700人が入地した。またほぼ同時期に,東本願寺現如の出願により長流川河口近くの長和(ながわ)を起点に札幌への本願寺道路(現,国道230号線)も開削された。伊達家は西洋式農法の導入では先駆的な役割を果たし,西洋式のすき,牧牛場の開設のほか,アマ(亜麻),テンサイの作付けも奨励し,1880年に日本最初の官営の製糖工場,官立紋鼈製糖所も設置された。米作や酪農のほか,とくに野菜栽培が盛んである。湾内でコンブ,ワカメ,ホタテガイなども産する。道央自動車道が通じ,室蘭市のベッドタウン的な性格も加わった。善光寺(史)は桜の名所として知られる。ほかに縄文時代の若生(わつかおい)貝塚,開拓農家最古の建物である旧三戸部(みとべ)家住宅(重要文化財)などがある。海岸沿いをJR室蘭本線,国道37号線が通る。
執筆者:

伊達 (だて)

近世日本の美的理念〈俠〉を構成する美意識の一つ。本来,意気を競い,人の耳目をひくような派手な振舞いをすることをいう。ひいてはそのような内面の具象化としてけばけばしいまでに華美な服装をすることでもある。意味が転じて,仁俠をてらうこと,みえを張ること,〈旗本奴〉〈町奴〉と呼ばれる俠客の心意気にまで変化してゆく。その語源には,伊達政宗の従士の服装が派手で人目をひいたことから等々,諸説あるが定かでない。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「伊達」の意味・わかりやすい解説

伊達
だて

福島県中通(なかどお)り地方北部、伊達郡にあった旧町名(伊達町(まち))。現在は伊達市の西部を占める地域。福島盆地の中央にあり、地域には大きな山地がなく、中央を北流する阿武隈川(あぶくま)の氾濫(はんらん)原と段丘面が広がる。1940年(昭和15)長岡村が町制施行して伊達町となったが、1956年伏黒(ふしぐろ)村に編入、1957年町制施行してふたたび伊達町となる。2006年(平成18)梁川(やながわ)、保原(ほばら)、霊山(りょうぜん)、月舘(つきだて)の4町と合併して市制施行、伊達市となった。かつては養蚕と蚕種製造で知られたが、現在はモモやリンゴ、サクランボの果物の生産が卓越する。座繰製糸(ざぐりせいし)が盛んな時代には、天王様(てんのうさま)(八雲(やくも)、熱田(あつた)両神社)の祭礼には糸市(いち)が立った。箱崎の獅子舞(ししまい)は県の無形民俗文化財。交通の一核心であり、明治中期には軽便鉄道や路面電車の基地があった。JR東北本線と国道4号、399号が通り、工業的にもみるべきものがある。西に接する福島市への通勤者も多く、人口も増えている。

[渡辺四郎]

『『伊達町史』全8冊(1985~2001・伊達町)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「伊達」の意味・わかりやすい解説

伊達
だて

福島県北東部,伊達市西部の旧町域。福島盆地にある。 1940年長岡村が伊達町となり,1956年伏黒村に編入。 1957年伏黒村が改称して町制。 2006年梁川町,保原町,霊山町,月舘町と合体して伊達市となった。中心地区は阿武隈川左岸の段丘上に位置し,奥州街道間の宿として発展。古くから養蚕の盛んな土地で奥州生糸の名産地であったが,桑畑はリンゴ,モモ,サクランボなどの果樹園に変わった。電気,食品,繊維などの工業も行なわれる。福島市の東に接し,宅地化が進んでいる。

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「伊達」の解説

伊達
(通称)
だて

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
元の外題
伊達競阿国戯場 など
初演
安永7.7(江戸・中村座)

出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報

デジタル大辞泉プラス 「伊達」の解説

伊達

ニッカウヰスキーが製造するウイスキーの商品名。宮城県・宮城峡蒸溜所で製造される宮城県限定のブレンデッドウイスキー。

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