伍子胥(読み)ごししょ(英語表記)Wǔ Zǐ xū

精選版 日本国語大辞典 「伍子胥」の意味・読み・例文・類語

ご‐ししょ【伍子胥】

中国春秋時代の呉の臣。名は員(うん)。父の奢と兄の尚が楚の平王に殺されたため、呉に奔(はし)り、呉を助けて楚を破り、平王の墓をあばいて復讐(ふくしゅう)した。のちに呉が越を破った時、呉王夫差が越王勾践を殺さなかったことを諫めていれられず、のち讒言(ざんげん)にあって自殺した。前四八五年没。

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デジタル大辞泉 「伍子胥」の意味・読み・例文・類語

ご‐ししょ【伍子胥】

[?~前485]中国、春秋時代武人。名はうん。父と兄が楚の平王に殺されたので、を助け、楚と戦いあだを討った。のち、呉王夫差ふさが越王勾践こうせんを破ったとき、その降伏を許そうとした夫差に反対して自殺。

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改訂新版 世界大百科事典 「伍子胥」の意味・わかりやすい解説

伍子胥 (ごししょ)
Wǔ Zǐ xū

中国,春秋時代末の人。生没年不明。本名は呉員(ごうん)。楚国のお家騒動で父と兄とを楚の平王に殺されると,楚より出奔し,諸国をさまよったあと,呉に身を寄せた。呉王の闔閭(こうりよ)が父王を殺して即位するのに力をかして信任を受け,兵法家の孫武とともに呉の国力の充実につとめた。国力をのばした呉は,楚に侵攻し,楚都の郢(えい)を陥(おと)した。伍子胥は,すでに死んで葬られていた平王の墓をあばき,その尸(しかばね)を鞭(むち)打って父と兄の仇をうったとされる。そののち闔閭は中原に進出することに心を用いしばしば北方へ軍を動かしたが,伍子胥は背後の越をこそ警戒すべきだと主張して闔閭と意見が合わず,剣を賜って自殺した。まもなく呉は伍子胥の言葉どおり越に滅ぼされた。その激烈で悲劇的な生涯から,伍子胥は神格化され,江南の各地に彼の廟が建てられた。《国語》呉語や《史記》巻六十六に彼の伝があるほか,《呉越春秋》《越絶書》ではすでに彼に関する小説的な記述が多くなっており,さらに敦煌の変文や元曲などの俗文学の中にも登場する,民衆に身近な英雄であった。
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