会議王国(読み)かいぎおうこく(英語表記)Kongresówka; Congress Kingdom

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「会議王国」の意味・わかりやすい解説

会議王国
かいぎおうこく
Kongresówka; Congress Kingdom

ウィーン会議で成立したポーランドの王国 (1815~1915) 。 1812年ナポレオン1世のモスクワ遠征が失敗すると,ポーランドの地はロシア軍の占領下におかれたが,15年のウィーン会議の結果,あらためてロシア,プロシア,オーストリア3国に分割され,そのうちロシア領となったワルシャワ公国の領域を基礎に「会議王国 (ポーランド王国) 」が創設された。ロシア皇帝の保護のもと,自治国家として独自の憲法議会軍隊などをもったが,30年の十一月蜂起と 63年の一月蜂起敗北で自治権の廃止,独立運動家のシベリア流刑と欧米への亡命,ポーランド文化の徹底的な弾圧をみ,64年には「ウィスワ河岸地方」に改名されてロシア領に再編。その後,ワルシャワを中心に展開した文化活動,独立運動,それに鉱工業の発展に伴って台頭した全国的規模の労働運動は,1905~07年の革命運動とも結合し,第1次世界大戦とロシア革命の過程で,この王国を基盤に,18年ポーランド共和国が成立した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の会議王国の言及

【ポーランド】より

…このフランスに頼るという構想に対抗して,ロシアでは皇帝アレクサンドル世を国王に戴くポーランド王国の再興という構想が,アダム・イェジ・チャルトリスキによって提案されていた。この構想が15年にウィーン会議において,会議王国Kongresówkaとして実現することになる。 なおウィーン会議では,さらにクラクフ共和国(ロシア,プロイセン,オーストリアの共同管理下に置かれ,1846年のクラクフ蜂起のあとオーストリア領に併合)とポズナン大公国(プロイセン王国内の自治領とされるが,1848年の蜂起のあと自治権を否認される)がワルシャワ公国領からつくられている。…

※「会議王国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android