伯夷叔斉(読み)はくいしゅくせい(英語表記)Bó yí, Shū qí

改訂新版 世界大百科事典 「伯夷叔斉」の意味・わかりやすい解説

伯夷・叔斉 (はくいしゅくせい)
Bó yí, Shū qí

中国,殷末・周初の賢人伯夷・叔斉の2人は孤竹国(遼西にあった国)の王子であったが,互いに王位を譲りあってともに国を出奔した。一度は殷の(ちゆう)王の朝廷を訪れたが,紂王に見切りをつけて,西伯であった周の文王をたよってそのもとに身をおちつけた。文王が死に,武王が紂王討伐の軍を起こそうとしたとき,2人は武王の馬を引きとどめて,父の死後すぐ兵を起こすこと,また臣下でありながら主君を討伐することの不当をなじる。武王が殷を滅ぼし天下が周のものとなると,2人は周の粟(ぞく)を食べることを恥じ,首陽山(山西省永済県)に入って薇(わらび)をとって食料としたがやがて餓死した。《論語》が2人を〈を求めて仁を得たものだ〉と称賛して以来,彼らの信念を貫き妥協を排した生き方がさまざまに論ぜられてきた。なかでも司馬遷は《史記》列伝の最初に2人の伝を置き,こうした善人が餓死し逆に悪人がはびこる世の不条理を取り上げて,〈余(わ)れ甚だ惑えり,儻(もしく)は所謂(いわゆる)天道は是(ぜ)なるや非なるや〉という疑問を投げかけている()。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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