伽藍配置(読み)がらんはいち

精選版 日本国語大辞典 「伽藍配置」の意味・読み・例文・類語

がらん‐はいち【伽藍配置】

〘名〙 仏寺での堂塔の配置。代表的なものは、塔を囲んで北・東・西に三金堂を配する飛鳥寺式、中門、塔、金堂、講堂の順に南から北に縦置する四天王寺式、回廊内庭に、西に塔、東に金堂を配置する法隆寺式、同じく東に塔、西に金堂の法起寺式、回廊内庭中門と金堂の中間東西に両塔をおく薬師寺式、両塔を回廊の南外側の東西に配する東大寺式などがあり、それらの変型もみられる。

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デジタル大辞泉 「伽藍配置」の意味・読み・例文・類語

がらん‐はいち【×伽藍配置】

寺院における堂塔の配置形式。日本では飛鳥時代から奈良時代にかけて発達し、四天王寺式・法隆寺式・川原寺式などがある。平安時代には密教の山上伽藍が、鎌倉時代には禅宗寺院の配置が形成された。

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改訂新版 世界大百科事典 「伽藍配置」の意味・わかりやすい解説

伽藍配置 (がらんはいち)

古代寺院の塔,金堂(仏殿),講堂,中門,南大門,回廊,鐘楼(鼓楼),経蔵などの主要堂塔の配置を伽藍配置と呼ぶ。日本では法隆寺非再建説をとなえた関野貞が,塔と金堂が左右にならび,奥に講堂があり,中門から左右にのびる回廊がこれらをとりまく法隆寺式が最も古く,金堂の前に東西両塔がならぶ薬師寺式がこれに次ぎ,中門から出る回廊が金堂にとりつき,南大門との間に双塔を配する東大寺式,さらに南大門の南に双塔を配する大安寺式がこれに続くと説明した。しかし,1936年石田茂作の発掘で法隆寺西院境内南東部で若草伽藍の存在が明らかとなり,中門を入ると塔,そのうしろに金堂,さらに講堂が中軸線上にならぶ四天王寺式が法隆寺式伽藍配置より古く,7世紀初頭の配置形式であることになった。百済の扶余の発掘調査でも四天王寺式伽藍配置が一般的であることがわかり,この説が正しいかにみえた。ところが,56,57年の奈良国立文化財研究所の発掘で,日本最古の本格的寺院,飛鳥寺が塔の東西と北とに金堂を配する一塔三金堂の配置であることがわかり,またこの説を訂正する必要が生じた。さらに57,58年の同研究所の発掘で,7世紀中ごろにつくられた川原寺が塔と向かい合った西金堂と北に中金堂を配した一塔二金堂形式であることがわかった。その頃あいついで観世音寺多賀城廃寺が塔と金堂が向かい合った伽藍配置を示すことがわかり,西に塔,東に金堂の法隆寺式や西に金堂,東に塔の法起寺(ほつきじ)式は,地方の氏寺に多いことなどが明らかとなってきた。8世紀に入ると中門から出た回廊が金堂にとりつき,金堂院の東または西に塔を配する伽藍配置が一般的となり,諸国国分寺もおおむねこの制に従っている。これは9世紀の平安京の東寺・西寺にまでも受け継がれる。8世紀には金堂の両側に塔を配した新治廃寺(茨城),三ッ塚廃寺(兵庫)のような変形もみられる。9世紀にはじまる比叡山高野山のような密教寺院では,地形の制約から整然とした配置をとらなくなるが,その周辺や参道に面して僧侶の住房が数多くつくられ,中世を通じて各地の密教系寺院の原形となる。11世紀になると浄土信仰が盛んになり,京都岡崎の六勝寺,宇治平等院,平泉の諸寺など,園池を前にした阿弥陀堂を中心にした伽藍が流行して,日本的特色の濃い伽藍配置をつくりあげた。13世紀(鎌倉時代)に禅宗が導入されると,三門,蓮池,法堂(はつとう)などが前後一列に並ぶ伽藍配置が復活する。古代には,仏殿はその名のように仏像だけをいれる堂で,祀は堂前でおこなったが,雨の多い日本では礼堂を前に設ける双堂(ならびどう)がつくられ,さらに両者を一つ屋根で覆う縦深の本堂形式が発達し,これに僧侶の住む庫裡,鐘楼などが各宗派独自に配される今日全国に見られる寺院形式が定着していった。

 中国に仏教が伝わった時期に,貴族の邸宅は正面の主殿に東西脇殿を配しており,その中庭に塔を建ててまつったので,一塔三金堂形式が初源的な伽藍配置であったろうとする説もあるが,雲岡その他の石窟寺院で釈迦と多宝仏の双塔を配する石窟の多いことから,薬師寺式も早くからつくられていた可能性が強い。近年ようやく寺院の発掘が手がけられるようになったので,今後の課題といわねばならぬが,門,仏殿,講堂が直線的に配された寺院が後までもつくられている。朝鮮半島に最も早く仏教の伝わった高句麗では,金剛寺(清岩里廃寺)のように一塔三金堂の伽藍配置が知られているが,南朝から仏教を学んだ百済では四天王寺式伽藍配置が最も多く,四天王寺式伽藍を三つ併設した益山弥勒寺のような例も知られている。高句麗から仏教が伝わった新羅では薬師寺式の双塔の伽藍が数多く知られているが,皇竜寺のように一塔三金堂形式でも三金堂を一列に南面してならべる例がみられる。

 このように,伽藍配置の変遷はかつてのように直截に説明できなくなっているが,ここで重要なのは寺域(寺地)と伽藍地の問題である。伽藍地とはさきに挙げた主要堂塔の配された地域であるが,寺院は一個の独立した経営体で,寺院はその近傍あるいは各地に散在する寺領からの収入で維持された。これらの世俗的事務を処理する大衆院,その事務所である政所のほか,正倉はじめ各種の倉があり,境内の掃除や雑務をつかさどる大衆のほか奴婢の賤院や仏華や薬草を栽培する花園院,薬園院など,雑舎その他の付属施設が相当面積必要であった。これらの付属施設を含めた範囲が寺地で,寺地の諸建築の配置を考慮にいれると各寺院すべて個性的であり,現在主要堂塔の配置だけを問題とする伽藍配置論から脱却し,寺院建立にたずさわった僧侶の教学的解釈施主の持つ財力による寺院の規模,占地などの各種の要素を総合的に考えて新たな研究の方向を見いだす時期にきている。
寺院建築
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百科事典マイペディア 「伽藍配置」の意味・わかりやすい解説

伽藍配置【がらんはいち】

伽藍は僧伽藍,僧伽羅摩の略で,一般には寺院の主要建物群をさす。源流はインド,中国,朝鮮に求められる。日本ではその配置は時代,宗派によって異なり,奈良時代以前では飛鳥(あすか)寺式,四天王寺式,法隆寺式,薬師寺式,東大寺式というように代表的な寺院の名を冠して呼ぶ。平安時代に密教寺院が山中に伽藍を営むようになってからは,地勢の関係で不規則な配置になるが,鎌倉時代の禅宗寺院では左右対称で,三門・仏殿・法堂(はっとう)を中心線上に並べるようになった。浄土宗・浄土真宗・日蓮宗の近世寺院では,本堂と,御影堂あるいは祖師堂を左右に並べる形が多い。
→関連項目飛鳥寺式伽藍配置講堂金堂寺院建築七堂伽藍下野薬師寺跡高田好胤

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「伽藍配置」の意味・わかりやすい解説

伽藍配置
がらんはいち

寺院において主要な堂塔を配置する際の方式。古代寺院では釈迦(しゃか)の仏舎利を祀(まつ)る塔を中心建物とし、飛鳥寺(あすかでら)ではその三方に仏殿を配し、それらを囲んで回廊が巡っていた。奈良の川原寺(かわらでら)では回廊内には塔と仏殿を左右に並べ、北にも回廊に接続して仏殿を配置している。一方、大阪の四天王寺では回廊内に塔と仏殿を南北に並べ、北には回廊に接続して講堂を配置している。法隆寺西院伽藍では川原寺と東西反対に仏殿と塔を並べ、回廊には仏殿が接続していない。このように飛鳥時代の伽藍配置は一塔三仏殿から一塔二仏殿、一塔一仏殿との変化が認められる。また、薬師寺にみられるような回廊内に二塔一金堂を配し、北は回廊に接続して講堂を置く配置も出現する。奈良時代になると、塔は回廊外に建てられるようになり、やがて二塔のうち一塔は省略される。平安時代になると、新しく天台(てんだい)、真言(しんごん)の2宗がおこり、山地での伽藍が形成される。これらの寺にあっては地形の制約上、一定の方式によらないものが多い。天台宗では講堂の前方左右に法華(ほっけ)、常行の両堂を配する例が多い。また、平安時代後期には浄土変相図に基づいた臨池伽藍が盛行する。鎌倉時代になって禅宗寺院が始まると、総門、三門、仏殿、法堂(はっとう)、大方丈を前後に並べる形式が五山格の大寺院にみられる。伽藍配置は時代や宗派によってそれぞれ変化が認められ一様ではない。

[工藤圭章]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「伽藍配置」の意味・わかりやすい解説

伽藍配置
がらんはいち

寺院における諸堂の配置をいう。南都六宗では塔,金堂講堂鐘楼,経楼,食堂,僧房を主要建物とし,飛鳥,白鳳時代には塔は1つで金堂とともに回廊内にあった。金堂が塔の三方にあるもの (飛鳥寺) ,塔の北にあるもの (四天王寺) ,塔の東か西にあるもの (法隆寺,観世音寺) などがあり,薬師寺では塔は2つになった。奈良時代には塔は回廊外に出,回廊は金堂の左右に連なり,金堂の北に講堂,その間左右に鐘楼,経楼があり,僧房は講堂の三方を取巻き,その北から東に食堂がおかれた。密教では山地に伽藍を建てたときは左右対称の配置をとらないが,平地のときは奈良系に拠った。鎌倉時代の禅宗では三門から出た回廊は仏殿に連なり,左右に僧堂と庫院 (くいん) をおき,うしろに法堂 (はっとう) ,方丈を建て,三門の斜前方に東司 (とうす) と浴室を設けた。浄土宗,浄土真宗,日蓮宗では南都六宗や禅宗のような大陸系の厳正な配置をとらないが,本堂と開祖を祀る大師堂 (祖師堂) を左右に並置して中心とした。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「伽藍配置」の解説

伽藍配置
がらんはいち

古代寺院の伽藍を構成する建物は,塔・金堂などの仏のための建物と,講堂・僧房などの人のための建物,廻廊・門などの仕切りとなる建物に大別できるが,これらの主要建物の配置を伽藍配置とよぶ。塔・金堂の配置による分類は,両者を廻廊で仕切った同じ空間におくものと別空間におくものに大別できる。前者には塔・金堂を前後に並べる四天王寺式,左右・右左に並べる法隆寺式・法起寺式,金堂の前に2基の塔を並べる薬師寺式などがある。後者には塔が1基のもの(興福寺式),2基のもの(東大寺式)などがある。仏と人の空間を仕切る方法による分類は,講堂が廻廊の外にあり人のための建物が独立するもの,廻廊が講堂にとりつき人と仏のための建物が接続するもの,といった空間の利用方法に依拠する。時代が下るほど,塔が伽藍の中心部から遠ざかり,仏と人の建物が接続して密接な関係をもつ傾向がある。

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旺文社日本史事典 三訂版 「伽藍配置」の解説

伽藍配置
がらんはいち

仏教寺院の堂塔(伽藍)の配置様式
古代寺院,特に奈良時代までの寺院は,中門・塔・金堂・講堂などの伽藍を一定の様式によって配置していた。塔を中心としてその東・北・西に金堂を置く飛鳥寺式伽藍配置が最も古く,塔・金堂・講堂を一直線に並べる四天王寺式がこれにつぐ。以後法隆寺式・薬師寺式・東大寺式などがあり,時代が下るにつれ,塔の位置が中心から遠ざかる。

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世界大百科事典(旧版)内の伽藍配置の言及

【日本建築】より

…建物の配置は中国の建築が縦深的配置をとるのに対し,日本のものは並列的,平面的である。最古の伽藍配置を有する四天王寺が中門,塔,金堂,講堂が一直線上に並ぶ大陸に由来するものであるのに対して,すでに法隆寺の配置は中門の左右後方に塔と金堂とがあり,その間を通して講堂を見ることができる。全部の建物が一望のもとに見られるというパノラマ的配置は,後の寝殿造,書院造においても,また浄土宗,真宗寺院などにも見られ,日本建築の配置の特殊性を示している。…

【仏教美術】より

…都市における造寺,造仏も《洛陽伽藍記》などに記されるように盛大をきわめた。日本における飛鳥時代の寺院は,塔を中心に中門,金堂,講堂が一直線につらなり,これを回廊が囲む伽藍配置(四天王寺式)であり,これは高句麗,百済,新羅の寺院址に類例がある。一方,日本最古の飛鳥寺は,塔の周囲に三面金堂をめぐらす特殊なものであるが,これも高句麗の清岩里廃寺に遺例があり,朝鮮との緊密な関係がうかがわれる。…

※「伽藍配置」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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