住友友純(読み)すみとも・ともいと

朝日日本歴史人物事典 「住友友純」の解説

住友友純

没年:昭和1.3.2(1926)
生年元治1.12.21(1865.1.18)
明治大正時代実業家。右大臣徳大寺公純の6男。母は千世浦。京都生まれ。幼名は隆麿,号は春翠長兄侍従長・内大臣の徳大寺実則,次兄西園寺公望がいる。明治25(1892)年学習院法律撰科を退学後,住友家の養嗣子として入家し,翌年住友家を相続して名を吉左衛門と改め,友純と称した。以来住友家家長として別子銅山を中心とする家業の発展に努め,44年男爵を授与され,大正10(1921)年に住友総本店が合資会社となると社長に就任した。この間事業は,鉱山業から伸銅,鋳鋼,化学,銀行,倉庫,林業へと派生,拡大していったが,友純は住友の象徴的存在としての地位にあったといえよう。別子開坑200年を記念して,明治33年には皇居前広場に楠公銅像の建立を果たしたが,欧米視察の経験から公共施設の寄付にも熱心で,大阪図書館(府立中之島図書館)の創設,東北帝大鉄鋼研究所の設立,美術館用地を含む公園(天王寺公園)の提供などをおこなった。東北帝大の本多光太郎が発明したKS磁石鋼は,住友吉左衛門の名にちなんで命名された。また中国古銅器の収集家として有名で,そのコレクションは『泉屋清賞』『増訂泉屋清賞』などの刊行を通じて紹介され,現在泉屋博古館(京都市)で公開されている。<参考文献>住友春翠編纂委員会編『住友春翠』

(安国良一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「住友友純」の意味・わかりやすい解説

住友友純
すみともともいと
(1864―1926)

明治・大正期の住友財閥当主。右大臣徳大寺公純(きんいと)の六男で幼名隆麿(たかまろ)。長兄徳大寺実則(さねつね)は内大臣・侍従長、次兄西園寺公望(きんもち)は首相、政友会総裁として著名。父から国学、漢学を学び、1884年(明治17)学習院入学、92年法律撰科(せんか)5年で退学、広瀬宰平(さいへい)らの奔走で住友家当主に迎えられ、翌年4月に15代住友吉左衛門を襲名、友純と改めた。号は春翠。住友の経営は歴代の専門経営者に任せ、自らは象徴に徹し、名門出身、貴族的容姿、洋風好みと相まって、住友のイメージアップに貢献した。芸術にも親しみ、その収集した古代中国の銅器類は世界的に有名である。1911年(明治44)男爵となる。

[麻島昭一]

『「住友春翠」編纂委員会編・刊『住友春翠』(1955)』


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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「住友友純」の解説

住友友純 すみとも-ともいと

1865*-1926 明治-大正時代の実業家。
元治(げんじ)元年12月21日生まれ。徳大寺公純(きんいと)の6男。西園寺公望(きんもち)の弟。明治25年住友家にはいり,翌年15代をつぐ。28年住友銀行を創設するなど各種事業を経営,三井,三菱とならぶ財閥の地位を確立した。貴族院議員。大正15年3月2日死去。63歳。京都出身。幼名は隆麿。通称は吉左衛門。号は春翠。

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