佐々木主浩(読み)ササキカヅヒロ

デジタル大辞泉 「佐々木主浩」の意味・読み・例文・類語

ささき‐かづひろ【佐々木主浩】

[1968~ ]プロ野球選手。宮城の生まれ。平成元年(1989)大洋ホエールズ横浜DeNAベイスターズ前身)に入団。主にクローザーとして活躍し、最優秀救援投手タイトルを5度獲得。平成12年(2000)米国メジャーリーグ移籍し、アメリカンリーグの新人王を獲得。後年は日本プロ野球に復帰した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「佐々木主浩」の意味・わかりやすい解説

佐々木主浩
ささきかづひろ
(1968― )

プロ野球選手(投手:右投右打)。横浜大洋ホエールズ(1993年から横浜ベイスターズ、2012年から横浜DeNAベイスターズ)、大リーグ(メジャー・リーグ)のシアトル・マリナーズ、2004年(平成16)からふたたび横浜ベイスターズでプレーフォーク・ボールを武器とし、「大魔神」の異名をとった名抑え投手(クローザー)。

 2月22日、宮城県に生まれる。東北福祉大から1990年(平成2)、ドラフト1位で横浜大洋ホエールズへ入団。1年目から16試合に登板して2勝4敗、セーブ2を記録し、1991年にはセントラル・リーグ最多の58試合に登板した。1995年に32セーブで初タイトルを獲得。以降、1998年まで4年連続セーブ王となった。とくに、1998年は1勝1敗、45セーブで日本のシーズン記録を更新し、防御率0.64、投球回56で奪三振78の好成績を残すとともに、チームを日本一に導いて最優秀選手(MVP)にも選ばれた。1999年は右肘(ひじ)を手術して後半戦を棒に振った。オフにFAフリーエージェント)となり、マリナーズに移籍。2000年は2勝5敗、37セーブで新人最多記録を樹立する活躍をみせ、チームのプレーオフ進出に貢献し、新人王となった。2001年にはイチローが加入して新人王とMVPを同時受賞し、佐々木も45セーブをあげ、マリナーズが歴代最多タイ記録のシーズン116勝をマークして地区優勝する原動力となった。2002年も37セーブを記録したが、2003年は故障でシーズン途中で約2か月間、戦線離脱。2004年1月にマリナーズを退団し、同年、横浜ベイスターズに復帰。2005年は右肘の手術で長期離脱となり、シーズン途中で引退を表明した。

 日本での12年間の通算成績は、登板試合439、投球回627と3分の2、43勝38敗、セーブ252、防御率2.41、奪三振851、完投0、完封0。獲得したおもなタイトルは、最優秀救援投手5回、MVP1回、ベストナイン1回。大リーグでの4年間の通算成績は、登板試合228、投球回223と3分の1、7勝16敗、セーブ129、防御率3.14、奪三振242、完投0、完封0。獲得したタイトルは、新人王。

[山下 健]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐々木主浩」の解説

佐々木主浩 ささき-かずひろ

1968- 平成時代のプロ野球選手。
昭和43年2月22日生まれ。東北福祉大から平成元年大洋(現横浜)に入団。4年から剛速球とフォークボールを武器にリリーフエースとして活躍。「ハマの大魔神」とよばれ,10年22連続セーブポイント,シーズン45セーブを記録し,横浜の38年ぶりのリーグ優勝,日本一に貢献。11年通算269セーブポイントを達成。12年大リーグのマリナーズに移籍。37セーブの大リーグ新人記録をつくり,アリーグ新人王。16-17年横浜ベイスターズ。26年野球殿堂入り。宮城県出身。

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