佐佐木高行(読み)ささきたかゆき

百科事典マイペディア 「佐佐木高行」の意味・わかりやすい解説

佐佐木高行【ささきたかゆき】

明治の政治家。土佐(とさ)高知藩出身。大政奉還説を唱え,戊辰戦争に功があった。参議,司法大輔を経て,1871年岩倉遣外使節に同行し司法制度を調査した。征韓論西南戦争には,蜂起(ほうき)しようとする同県人に自重するよう説得に当たった。元老院議官,明治天皇侍補,枢密顧問官などを歴任大久保利通死後は元田永孚(ながざね)らと天皇親政運動を推進,晩年は皇太子(のちの大正天皇)の養育掛を務めた。彼の日記(《保古飛呂比(ほごひろい)》)や談話をもとにした伝記《明治聖上と臣高行》(津田茂麿著)は他の文献からはうかがうことのできない宮中秘事を興味深く伝える。
→関連項目鳥尾小弥太

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朝日日本歴史人物事典 「佐佐木高行」の解説

佐佐木高行

没年:明治43.3.2(1910)
生年:天保1.10.12(1830.11.26)
幕末の土佐(高知)藩士,明治期の政府高官。土佐国吾川郡長浜村瀬戸(高知市)生まれ。幼名万之助,通称三四郎。父は土佐藩上士。高行は郡奉行,普請奉行,大目付などを歴任,上士身分としては珍しく,武市瑞山ら郷士勤王派とも交流した。慶応年間,太宰府に赴き西国の情報を収集,大目付(大監察)として英国人水夫殺害事件の解決に長崎出張,後藤象二郎,坂本竜馬らと時局収拾策を協議した。慶応4(1868)年1月,戊辰戦争開始に際し海援隊士を指揮して長崎奉行所を接収。長崎裁判所判事兼九州鎮撫使参謀に任じ浦上キリシタン事件を処理。3年参議,4年司法大輔,岩倉遣外使節団理事官として米欧順遊。9年から10年西南日本に士族反乱続発するや,高知県の暴発抑制,治安維持に力を尽くした。11年侍補,天皇親政運動に尽瘁したが,伊藤博文ら官僚派に敗北。元老院副議長,参議兼工部卿要職を歴任して,17年伯爵,18年宮中顧問官,21年より没年まで枢密顧問官,その間,常宮,周宮の両皇女教育主任を勤め,また皇太子妃選定に与り明治天皇の信任厚かった。42年侯爵。<著作>『保古飛呂比・佐佐木高行日記』『勤王秘史・佐佐木老侯昔日談』<参考文献>津田茂麿『明治聖上と臣高行』

(福地惇)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐佐木高行」の解説

佐佐木高行 ささき-たかゆき

1830-1910 幕末-明治時代の武士,官僚。
文政13年10月12日生まれ。土佐高知藩士。坂本竜馬,後藤象二郎らと大政奉還につくす。維新後は明治政府の参議,司法大輔。岩倉使節団にもくわわる。工部卿をへて明治21年枢密顧問官。明治43年3月2日死去。81歳。初名は高富,高春。通称は三四郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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