佐原(読み)さわら

精選版 日本国語大辞典 「佐原」の意味・読み・例文・類語

さわら さはら【佐原】

千葉県北東部の地名。利根川下流域にある。明治末期まで利根川水運の河港、以後、昭和初期まで国鉄成田線と利根川水運との結節点として栄えた。早場米の産地。酒、みそ、しょうゆ製造の歴史も古い。香取神宮伊能忠敬旧宅があり、水郷筑波国定公園の観光基地。JR成田、鹿島線が通じる。昭和二六年(一九五一)市制。

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デジタル大辞泉 「佐原」の意味・読み・例文・類語

さわら〔さはら〕【佐原】

千葉県北東部にあった市。平成18年(2006)3月に小見川町山田町栗源くりもと町と合併し香取市となる。→香取

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日本歴史地名大系 「佐原」の解説

佐原
さわら

佐原のうち小野おの川右岸付近に比定される。中世の香取社領。左原とも記される。建保六年(一二一八)三月二〇日の香取社社家連署寄進状写(香取文書、以下断りのない限り同文書)に「佐原村」とみえ、香取社地頭平(千葉)成胤の妻平氏と地頭代平弘吉の妻安部氏所生の男女子らの寿命長遠などのために、村内の千葉氏分の名田二反が香取大神宮寺宮殿観音に寄進され、社家はこの田を録司代の蓮慶に耕作させている。弘安元年(一二七八)一〇月一四日の香取神領田数目録によれば、地内には香取社の神田が二四町四反余あり、御名(千葉氏分)のほか司(大宮司分)金丸かねまる(大禰宜分)などの名から構成されていた。なお神畠は一一町余あった(正慶二年四月一六日香取大領麦畠検注取帳など)。正安二年(一三〇〇)頃、香取社大禰宜家の大中臣実秀が、別相伝の地であるにもかかわらず神主職にことよせて大中臣実康が押領したと訴えて認められてしまったため、実康は当地は神主(大宮司)が進退する地であると訴え、実秀の押領が停止されている(同年六月日摂政二条兼基家政所下文案写)。正慶二年(一三三三)当時には大毘沙門堂があり(前掲麦畠検注取帳)、小野川に架けられた大橋の右岸たもとにあったと思われる(弥勒二年二月一三日録司代慶満毘沙門堂屋敷寄進状案)。延文三年(一三五八)五月一日の香取九ヵ村注文に「追野内しの原 井土庭 さわら」とみえる。

香取海に面した当地は漁業・水運の拠点となっており、千葉氏被官中村氏知行分の「さわらの津」および「いとにわの津」、さらに大戸おおと庄内で国分与一知行分の「せきとの津」(現佐原地内の東関戸・西関戸付近か)、同庄内で木内知行分の「いわかさきの津」(現佐原・岩ヶ崎台)といった湊津がみられた(応安七年海夫注文)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「佐原」の意味・わかりやすい解説

佐原
さわら

千葉県北東部にあった旧市名(佐原市)。現在は香取市(かとりし)の北西部を占める地域。利根(とね)川下流の低地と下総(しもうさ)台地とからなる。旧佐原市は1951年(昭和26)佐原町、香取町、香西(かさい)村、東大戸村が合併して市制施行。1955年新島(しんしま)村、津宮(つのみや)村、大倉村、瑞穂(みずほ)村を編入。2006年(平成18)、香取郡小見川町(おみがわまち)、山田町(やまだまち)、栗源町(くりもとまち)と合併、香取市となった。地名は、香取神宮の祭礼に用いた土器「浅原(さはら)」をつくった土地に由来するとか、かつては利根川沿いの狭原(さわら)、砂原、笹(ささ)原など地勢のようすからともいわれる。古代、旧市域の北半分の地域は香取海が深く入り込んでいたが、1654年(承応3)江戸幕府により利根川の流路が銚子(ちょうし)へと変えられて以後、低湿地が広範囲に形成された。台地と低地の変換線に沿ってJR成田線と国道356号が走り、JR鹿島線(かしません)が香取駅から分かれる。国道51号は利根川を渡る水郷(すいごう)大橋を経て水郷、潮来(いたこ)、鹿嶋を結ぶ。東関東自動車道が通じ、佐原香取インターチェンジがあり、南部を東総有料道路が走る。

 中世に千葉氏の一族国分氏(こくぶうじ)が矢作(やはぎ)城を築き、のちに大崎城へと移ったが、1590年(天正18)に滅びた。近世初期、水郷の低湿地である十六島が、対岸の佐竹氏に対する江戸幕府の防衛上、隠遁(いんとん)武士団によって新田開発された。銚子から利根川を上って東北地方の物資を江戸へ運ぶようになると、佐原は支流の小野川沿いの河港として発達した。1898年(明治31)の成田線開通後は衰微した。水郷地帯は水路が縦横に張り巡らされていて田舟(たぶね)を使っての農作業が一般的であったが、第二次世界大戦後、霞ヶ浦(かすみがうら)、与田(よだ)浦の干拓や土地区画整理が進められ、湿田が乾田化されて千葉県第一の早場米地域をなすに至った。最近では米作のほかに養豚、いも類の生産が盛んとなり、伝統的な酒造りやしょうゆ工業も行われる。また、田園地帯の中心都市として商業機能が強く、1959年(昭和34)に指定された水郷筑波国定公園(すいごうつくばこくていこうえん)の拠点ともなっている。

 与田浦には水生植物園、大利根博物館が整備されており、6月のハナショウブのシーズンには、女船頭が操る観光田舟が、加藤洲(かとうず)十二橋を結ぶ水郷を往来し、川釣り客とともにレクリエーション客が増える。7月の八坂神社の祇園(ぎおん)祭と10月の諏訪(すわ)神社の祭りには、10台を超える豪華な山車(だし)が繰り出して佐原囃子(ばやし)とともににぎわう(佐原の山車行事として国指定重要無形民俗文化財)。市の中心佐原地区には伊能忠敬(ただたか)旧宅(国指定史跡)や記念館があり、館蔵の伊能忠敬関係資料は国宝。市街地東方の香取神宮には国宝の海獣葡萄(かいじゅうぶどう)鏡や数多くの宝物がある。

[山村順次]

『『佐原市史』(1966・佐原市)』


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「佐原」の意味・わかりやすい解説

佐原
さわら

千葉県北東部,香取市北西部の旧市域。利根川下流に位置し,川を挟んで茨城県と接する。1951年佐原町,香取町,香西村,東大戸村が合体して佐原市となった。1955年新島村,津宮村,大倉村,瑞穂村の 4村を編入。2006年山田町,栗源町,小見川町と合体して香取市となった。下総台地から利根川北岸の三角州を含み,中心地区の佐原は江戸時代に江戸と銚子を結ぶ利根川水運の重要河港として繁栄した。古くから食品加工業,醸造業が盛ん。干拓地の十六島は早場米の産地。小野川沿いに,かつての繁栄の名残りをとどめる米問屋などの古い町並みが残り,国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。江戸時代後期の地理学者伊能忠敬の旧宅,下総国一の宮だった香取神宮などがある。八坂神社祇園祭と諏訪神社秋祭りでの「佐原の山車行事」は国指定重要無形民俗文化財に指定されており,2016年に「山・鉾・屋台行事」の一つとして国際連合教育科学文化機関 UNESCO世界無形遺産に登録された。北部の利根川流域一帯は水郷筑波国定公園大利根県立自然公園に属し,特に十六島は水郷観光の中心地をなす。

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改訂新版 世界大百科事典 「佐原」の意味・わかりやすい解説

佐原 (さわら)

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