佐和山藩(読み)さわやまはん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「佐和山藩」の意味・わかりやすい解説

佐和山藩
さわやまはん

近江(おうみ)国犬上郡佐和山城(滋賀県彦根(ひこね)市)を拠点とした近世初期の藩。戦国末期には京極(きょうごく)氏の家臣磯野員昌(いそのかずまさ)が入っていた。1572年(元亀3)織田信長の所領となり丹羽長秀(にわながひで)が封ぜられた。1583年(天正11)堀秀政(ほりひでまさ)、90年堀尾吉晴(よしはる)が相次いで入り、ついで95年(文禄4)石田三成(みつなり)が入り19万4000石を領有したが、1600年(慶長5)関ヶ原戦いで敗れた。翌年徳川家康四天王の一人、井伊直政(いいなおまさ)が封ぜられ15万石を領有した。1602年直政は病死し、嫡子直勝が封を継ぎ、04年彦根山に新城を築いて移り佐和山藩は廃止された。佐和山は、琵琶(びわ)湖と東山道(とうさんどう)そして北陸への交通の要衝に位置し、戦国時代より軍事的拠点として有力部将が配置された。

[藤田恒春]

『『彦根市史』全3巻(1960~64・彦根市)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「佐和山藩」の意味・わかりやすい解説

佐和山藩
さわやまはん

江戸時代初期,近江国 (滋賀県) 犬上郡彦根地方を領有した藩。慶長6 (1601) 年,石田三成の除封のあとに井伊直政が 18万石で入封。その子直勝の代に彦根に築城して移り,以後は彦根藩を称した。

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デジタル大辞泉プラス 「佐和山藩」の解説

佐和山藩

近江国、佐和山(現:滋賀県彦根市)を拠点とした藩。石田三成が関ヶ原の戦いで敗れた後、井伊直政がその居城佐和山城に入城、15万石を領有して立藩。その子直勝の代に居城を彦根城に移し、彦根藩となった。

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