佐竹義尭(読み)さたけ・よしたか

朝日日本歴史人物事典 「佐竹義尭」の解説

佐竹義尭

没年:明治17.10.23(1884)
生年:文政8.7.27(1825.9.9)
幕末の秋田藩主。号は君岳。父は相馬藩(福島県)中村城主相馬益胤嘉永2(1849)年秋田支藩主佐竹義純の養嗣子となり,さらに安政4(1857)年同藩宗家義睦の死去後,襲封した。財政窮乏に際し,産銅政策,蚕桑普及,織屋設置,洋式軍制整備など藩政改革治績をあげた。文久3(1863)年内勅があり,藩内急進派の平田延胤らの働きかけを受けて上京し朝廷に近い立場をとったが,同年8月18日の政変後は幕命により江戸に滞留した。戊辰戦争に際しても対応に苦慮し,一時奥羽越列藩同盟に参加したものの,結局新政府側につき同盟軍と交戦した。維新後久保田藩(秋田県)藩知事を務め,明治17(1884)年侯爵に叙せられた。<参考文献>『戊辰秋田藩戦記』(秋田叢書4巻)

(長井純市)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐竹義尭」の解説

佐竹義尭 さたけ-よしたか

1825-1884 幕末-明治時代大名
文政8年7月27日生まれ。相馬益胤(ましたね)の3男。佐竹義純(よしずみ)の養子となり,出羽(でわ)久保田新田藩(秋田県)7代藩主をつぎ,安政4年宗家出羽久保田藩主佐竹家12代。戊辰(ぼしん)戦争では藩論を新政府支持にまとめ,奥羽越列藩同盟軍とたたかった。明治4年秋田藩と改称。17年侯爵となるが,同年10月23日死去。60歳。初名は義核(よしさね)。

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