佐藤佐太郎(読み)サトウサタロウ

デジタル大辞泉 「佐藤佐太郎」の意味・読み・例文・類語

さとう‐さたろう〔‐サタラウ〕【佐藤佐太郎】

[1909~1987]歌人宮城の生まれ。「アララギ」に入会し、斎藤茂吉師事芸術派的な独自の歌風を確立した。歌集歩道」「帰潮」「開冬」など。

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改訂新版 世界大百科事典 「佐藤佐太郎」の意味・わかりやすい解説

佐藤佐太郎 (さとうさたろう)
生没年:1909-87(明治42-昭和62)

歌人。宮城県大河原町に生まれ,幼少時代を茨城県平潟町で過ごし,上京して岩波書店店員となる。1927年初めて斎藤茂吉に会い,その門人となる。都会生活に沈湎(ちんめん)する青春のメランコリーと,社会全体を浸す1930年代の鬱屈した時代的空気とを鋭敏繊細な感覚でとらえ,処女歌集《歩道》(1940)によって早くも歌壇の新しい旗手としての地位を確立した。茂吉の唱える〈短歌写生説〉の実行をめざした属目(しよくもく)詠嘆に間違いないが,内向的な資質にも導かれ,爾後《しろたへ》(1944),《立房》(1947),《帰潮》(1952)など各歌集ごとに自然観照を深めていき,しばしば周囲から社会性や歴史感覚の欠如を批判されながらも,頑固に自己歌境を守りつづけ,老年期に及んでからは漢詩的世界に自在の境地を見いだした。歌論《純粋短歌論》《斎藤茂吉秀歌》ほかがあり,1983年,芸術院会員に推された。〈貧しさに耐へつつ生きて或る時はこころいたいたし夜の白雲〉(《帰潮》)。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「佐藤佐太郎」の意味・わかりやすい解説

佐藤佐太郎
さとうさたろう
(1909―1987)

歌人。宮城県柴田(しばた)郡大河原町に生まれ、幼時茨城県平潟町(現北茨城市)に移る。1926年(大正15)上京、一時岩波書店に勤めた。上京の年『アララギ』に入会、翌27年(昭和2)斎藤茂吉に師事した。第一歌集『歩道』(1940)によって地位を確立し、45年5月歌誌『歩道』を創刊。写生に立脚する「純粋短歌論」を主張した。歌集『帰潮』(1952。読売文学賞受賞)はその結実である。以後『冬木』(1966)、『形影』(1970)の円熟を経、『開冬(かいとう)』(1975)、『天眼(てんがん)』(1979)において蒼古(そうこ)たる晩年の歌風に転じた。歌会始選者、『毎日新聞』歌壇選者を務める。芸術院会員。

上田三四二

 冬の日の眼(め)に満つる海あるときは一つの波に海はかくるる

『『佐藤佐太郎全歌集』(1977・講談社)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐藤佐太郎」の解説

佐藤佐太郎 さとう-さたろう

1909-1987 昭和時代の歌人。
明治42年11月13日生まれ。大正14年岩波書店に入社。翌年「アララギ」にはいり,斎藤茂吉に師事する。昭和15年第1歌集「歩道」を刊行。27年歌集「帰潮」で読売文学賞。28年歌論「純粋短歌」を刊行。晩年は蘇東坡(そ-とうば)に傾倒した。芸術院会員。昭和62年8月8日死去。77歳。宮城県出身。
【格言など】冬山の青岸渡寺(せいがんとじ)の庭にいでて風にかたむく那智の滝みゆ(「形影」)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「佐藤佐太郎」の意味・わかりやすい解説

佐藤佐太郎
さとうさたろう

[生]1909.11.13. 宮城,大河原
[没]1987.8.8. 東京
歌人。 1926年岩波書店に入社,同時に『アララギ』に入会し斎藤茂吉に師事。歌集『歩道』 (1940) によって歌壇に地位を確立した。 45年から短歌誌『歩道』を主宰。日常生活のなかに題材を求めつつ純粋な抒情性を守る歌風を開いた。歌集『立房 (たちふさ) 』 (47) ,『帰潮』 (52) など。 83年芸術院会員。

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