何紹基(読み)かしょうき(英語表記)Hé Shào jī

精選版 日本国語大辞典 「何紹基」の意味・読み・例文・類語

か‐しょうき ‥セウキ【何紹基】

中国、清代の学者書家。字(あざな)は子貞。湖南道州の人。「説文」に通じた。書は初め顔真卿(がんしんけい)に学び、のち漢碑篆隷(てんれい)中心とした臨書に専念し、一家をなした。(一七九九‐一八七三

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改訂新版 世界大百科事典 「何紹基」の意味・わかりやすい解説

何紹基 (かしょうき)
Hé Shào jī
生没年:1799-1873

中国,清代後期の書家。湖南省道州の人。字は子貞,号は東洲,猨叟。父は戸部尚書,何淩漢。兄弟4人とも能書で,何氏四傑と称された。道光16年(1836)の進士。国史館纂修となり,福建省郷試の正考官,四川学政となったが,のち官界を去った。書は初め唐の顔真卿を学んだが,北碑の首唱者包世臣と交わり,また阮元(げんげん)の弟子となり,北碑や漢碑に傾倒してついに一家を成した。道光期における北派の第一人者と言える。彼はまた小学(文字の訓詁,音韻学)に詳しく,金石学を好み詩人としても名高く,蘭竹,山水を描いた。著書に《説文段注駁正》《東洲草堂文鈔》《東洲草堂詩鈔》などがある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「何紹基」の意味・わかりやすい解説

何紹基
かしょうき
(1799―1873)

中国、清(しん)代後期の書家。湖南道州の人。字(あざな)は子貞。号は東洲、猨叟(えんそう)。戸部尚書(こぶしょうしょ)、何淩漢(かりょうかん)の長子で、兄弟4人とも書をよくしたので「何氏四傑」と称された。1837年(道光16)の進士。庶吉士を経て編修となり、福建(ふっけん)省郷試の正考官、四川(しせん)学政となったが、のち官界を去った。彼は『小学』に精通し、金石学を好み、詩人としても名高く、蘭竹(らんちく)、山水を描いたが、書においては道光期における北派の第一人者ということができる。すなわち、初めは顔真卿(がんしんけい)を学んだが、のちに北碑(ほくひ)の首唱者包世臣(ほうせいしん)と交わり、また阮元(げんげん)の弟子となり、北碑や漢碑に傾倒して独自の書境を開いた。戦筆(ふるえる筆)を駆使した隷書行書は高く評価され、著書に『東洲草堂文鈔(しょう)』『惜道味斎経説(せきどうみさいきょうせつ)』などがある。

[角井 博]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「何紹基」の意味・わかりやすい解説

何紹基
かしょうき
He Shao-ji

[生]嘉慶4(1799)
[没]同治12(1873)
中国,清の書家,詩人。道州 (湖南省) の人。字は子貞,号は東洲居士,えん叟。書家,何凌漢の長子。翰林院編修となり説文,金石学に造詣が深かった。書は初め唐の顔真卿を学び,のちに包世臣,阮元 (げんげん) から碑学を修め,漢碑,北碑を研究して新様式を完成した。行・草書は特異な趣を示す。著書に『東洲草堂文鈔』『東洲草堂詩鈔』などがある。

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