依仁親王(読み)よりひとしんのう

朝日日本歴史人物事典 「依仁親王」の解説

依仁親王

没年:大正11.6.27(1922)
生年:慶応3.9.19(1867.10.16)
伏見宮邦家親王の第17王子。生母は伊丹吉子。明治10(1877)年に海軍兵学校入校。17年イギリス留学,同国の海軍兵学校には年齢の関係で入学できず,転じて21年フランスのブレスト海軍兵学校に入校,23年卒業。次いでフランス海軍2等候補生として遠洋航海,艦隊勤務に従事した。外国海軍の教程を正式に履修した初めての皇族である。25年帰国,「高千穂」分隊士を経て,東郷平八郎艦長のもとで「浪速」分隊士となる。26年6月から軍事研究などのため欧米各国へ出張したが,日清戦争勃発のため27年9月帰国,出征を強く希望して10月「浪速」に乗艦,分隊長として黄海海戦,威海衛作戦に参加し,講和成立後も台湾鎮圧作戦に従事した。その後一時軍令部にあったが,31年の「松島」以来,「高砂」「八島」「吾妻」で,それぞれ分隊長,「扶桑」では副長としてもっぱら海上勤務。36年末には「千歳」副長,日露戦争(1904~05)では初め第1艦隊第3戦隊に属し,旅順口攻撃,黄海海戦に参加。次いで第3艦隊第6戦隊の「千代田」艦長として朝鮮海峡に哨戒任務に当たり,日本海海戦で戦う。42年少将,44年には天皇の名代として英国ジョージ5世戴冠式に東郷らを伴って参列した。大正5(1916)年横須賀鎮守府司令長官,7年大将・軍事参議官死去の日,元帥。親王は明治2年兄山階宮晃親王の養嗣子となり,18年に小松宮を継嗣したが,36年東伏見宮家を創立した。妃は岩倉具定の娘周子。<参考文献>東伏見宮家『依仁親王』

(田浦雅徳)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「依仁親王」の解説

依仁親王 よりひとしんのう

東伏見宮依仁親王(ひがしふしみのみや-よりひとしんのう)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「依仁親王」の解説

依仁親王 (よりひとしんのう)

生年月日:1867年9月19日
明治時代;大正時代海軍軍人。大将
1922年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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